甲午きのえうま)” の例文
そこで親族打ち寄って、度々評議をらした末、翌天保五年甲午きのえうまの歳の正月中旬に、表向敵討の願をした。
護持院原の敵討 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
天皇御年七十八歳、甲午きのえうまの年の正月十五日にお隱れになりました。御陵は河内の惠賀えがの長枝にあります。
太政官下知だいじょうかんげじに依って問罪の使節として下向して来た将軍の手につながれ、同年八月十二日甲午きのえうま、同族の兼有かねあり高郷たかさと興貞おきさだ等——すべて十八人、重罪により配流はいるといい渡され、伊豆の南端へ
平の将門 (新字新仮名) / 吉川英治(著)