はじめ)” の例文
此中須川は年はじめて二十であつたから、羞恥のために独臥したのであらう。抽斎と椿庭とは平生謹厳を以て門人等に憚られてゐたのださうである。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
耕作、年はじめて十齢、厚くみずから激励すれば、その前途実に測るべけんや。
吉田松陰 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)
所謂長州征伐の第一次で、出兵三十六諸侯の一人たる正方は年はじめて十六、発程にさきだつこと二日に始て元服の式を挙げたのである。公私略の文は下の如くである。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
子之助が生れてから人と成るまでの間には、年月をつまびらかにすべき事実が甚だ少い。文政六年には父竜池の師はた星池が六十一歳で歿した。子之助がはじめて二歳の時である。
細木香以 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
安政五年には二月二十八日に、抽斎の七男成善しげよしが藩主津軽順承ゆきつぐに謁した。年はじめて二歳、今のよわいを算する法に従えば、生れて七カ月であるから、人にいだかれて謁した。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
現に同嗜どうしの人津田繁二さんは「新校正孔方図鑑」と云ふ書を蔵してゐる。懐之の「文化十二年嘉平月二日」の識語があるさうである。当時懐之は年はじめて十二であつた。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
天保八年正月十五日に、抽斎の長子恒善が始て藩主信順のぶゆきに謁した。年はじめて十二である。七月十二日に、抽斎は信順に随って弘前に往った。十月二十六日に、父允成が七十四歳で歿した。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)