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涌谷
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わくや
ふりがな文庫
“
涌谷
(
わくや
)” の例文
増し
御合力
(
ごごうりき
)
(勝手もと不如意の理由で、一門一家はじめ全家中に対して献上金を申付ける件)について、
涌谷
(
わくや
)
から御異議がまいりました。
樅ノ木は残った:03 第三部
(新字新仮名)
/
山本周五郎
(著)
これは渡辺金兵衛等の
勧
(
すゝめ
)
によつて原田甲斐が取り計らつたのである。伊達安芸は
遠田
(
とほだ
)
郡を領して
涌谷
(
わくや
)
に住んでゐたが、其北隣の
登米
(
とよま
)
郡は伊達式部が領して、これは寺池に住んでゐた。
椙原品
(新字旧仮名)
/
森鴎外
(著)
「
周防
(
すおう
)
どのだ」と甲斐が云った、「国から
涌谷
(
わくや
)
さまが来られた、藩邸にはまだ内密で、小石川の普請小屋に周防どのとおられる」
樅ノ木は残った:01 第一部
(新字新仮名)
/
山本周五郎
(著)
甲斐が大町の屋敷へ帰ると、片倉
隼人
(
はやと
)
が「
涌谷
(
わくや
)
から密使が来ている」と告げた。甲斐は頷いて、風呂へはいる、と云い、そのまま居間のほうへいった。
樅ノ木は残った:04 第四部
(新字新仮名)
/
山本周五郎
(著)
「私は
涌谷
(
わくや
)
さまにも、松山どのにも会って、以上の経緯を聞きました、しかし、御両所とも、いまでは船岡どのの御心底危ぶまれる、と申されるのです」
樅ノ木は残った:03 第三部
(新字新仮名)
/
山本周五郎
(著)
▼ もっと見る
涌谷
(
わくや
)
(伊達
安芸
(
あき
)
)と寺池(式部
宗倫
(
むねとも
)
)の地境論が、涌谷の譲歩によって解決したということは、こちらで聞いた。
樅ノ木は残った:02 第二部
(新字新仮名)
/
山本周五郎
(著)
弓を引こうとさそったのは式部であるが、その目的はほかにあったようで、式部はあまり弓を引かず、
涌谷
(
わくや
)
(伊達安芸)の横暴について、しきりに訴えていた。
樅ノ木は残った:03 第三部
(新字新仮名)
/
山本周五郎
(著)
一ノ関どの、
涌谷
(
わくや
)
どの、
弾正
(
だんじょう
)
どの、
周防
(
すおう
)
、大条、片倉どの、おのれとも七人。立花侯、奥山大学は不参。
樅ノ木は残った:01 第一部
(新字新仮名)
/
山本周五郎
(著)
去年、
涌谷
(
わくや
)
さまと三人で話したとき、船岡はわれわれが離反しなければならぬと云った、一ノ関の眼を
樅ノ木は残った:02 第二部
(新字新仮名)
/
山本周五郎
(著)
伊達家の麻布屋敷にいた伊達
安芸
(
あき
)
は、早朝に起きて
沐浴
(
もくよく
)
し、白の
下襲
(
したがさね
)
を着て朝食の
膳
(
ぜん
)
に向かうと、
涌谷
(
わくや
)
から供をして来た家従たち、老臣から小姓頭などに、盃を廻した。
樅ノ木は残った:04 第四部
(新字新仮名)
/
山本周五郎
(著)
「失礼ですが」と甲斐は主膳を
遮
(
さえぎ
)
って云った、「ちょっと
涌谷
(
わくや
)
さまに挨拶をしてまいります」
樅ノ木は残った:01 第一部
(新字新仮名)
/
山本周五郎
(著)
それは
涌谷
(
わくや
)
が示唆したものであるし、甲斐を一ノ関の与党であるとみせるための工作であったが、——しかし外記ほどの人物なら、理を尽して話せばわかってくれるであろう。
樅ノ木は残った:04 第四部
(新字新仮名)
/
山本周五郎
(著)
涌谷
(
わくや
)
とも疎隔された、所労と称して船岡にこもり、仙台本城への勤めも怠っていた、それが一ノ関に推されると、たちまち上府して国老となり、かねて問題になっていた金山所属の件を
樅ノ木は残った:02 第二部
(新字新仮名)
/
山本周五郎
(著)
“涌谷(涌谷町)”の解説
涌谷町(わくやちょう)は、宮城県北部の遠田郡に位置し、大崎地方に属する町である。日本で初めて金が産出したことで知られる。
(出典:Wikipedia)
涌
漢検準1級
部首:⽔
10画
谷
常用漢字
小2
部首:⾕
7画
“涌”で始まる語句
涌
涌出
涌湯
涌井
涌然
涌來
涌立
涌蓮
涌起
涌泉堂