池殿いけどの)” の例文
瀧口入道、都に來て見れば、思ひの外なる大火にて、六波羅、池殿いけどの、西八條のあたりより京白川きやうしらかは四五萬の在家ざいけまさに煙の中にあり。
滝口入道 (旧字旧仮名) / 高山樗牛(著)
梶井ノ二品親王にほんしんのう(光厳の弟)までも、みなお一つにここへ難をのがれ、むかし平家一門が栄えたあとの法領寺殿ほうりょうじでん池殿いけどの、北御所などに御簾ぎょれんを分けておられたのである。
私本太平記:08 新田帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
このうわさで京中はわき立ったが、御産所の六波羅の池殿いけどのには、法皇が行幸されたのをはじめとして、関白殿以下、太政大臣など官職をおびた文武百官一人ももれなく伺候しこうした。
池殿いけどのに火を放ち、鳥羽のあたりまで落ちていったが、鳥羽の南門まで来ると、「忘れたことがあった」といって急に平家の赤印あかじるしを切り捨て、手勢三百余騎を引き連れ、再び京へとって返した。
建礼門院のいる六波羅池殿いけどのを訪ねてそういった。