愛甲あいこう)” の例文
心の儘は牽強けんきょうの説であるが、土の崩れる崖をママということは旁証ぼうしょうがある。相模の愛甲あいこう村辺でかくのごとき崖地をママックズレということは、現にその地に往って聞いた。また
地名の研究 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
たとえば大江広元の一族は、相州愛甲あいこう毛利もうり荘に本領があって、毛利を名乗っていた。
名字の話 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
相州愛甲あいこうすすの山村などで、蒲公英をピーピーバナ、東上総の海岸でビンビバナというもので、これはあの茎を切って草笛を作って吹いた者の、記念であったことは言うまでもない。
その一は西の方駿河の境、田方郡北上村大字佐野を以前に帷子里といい、その二は相模に近く熱海あたみ町の枝郷和田を以前片平里と称えた(伊豆志)。相模愛甲あいこう南毛利みなみもうり村大字愛甲にも一つの片平がある。
地名の研究 (新字新仮名) / 柳田国男(著)