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快川
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かいせん
ふりがな文庫
“
快川
(
かいせん
)” の例文
と
快川
(
かいせん
)
は、
伊那丸
(
いなまる
)
の落ちたのを見とどけてから、やおら、
払子
(
ほっす
)
を
衣
(
ころも
)
の
袖
(
そで
)
にいだきながら、
恵林寺
(
えりんじ
)
の
楼門
(
ろうもん
)
へしずかにのぼっていった。
神州天馬侠
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
「はッ」と
弟子僧
(
でしそう
)
ははだしでとびおりた。鎧櫃をとって泉水の水をふくませた。武士は、気がついて
快川
(
かいせん
)
のすがたをあおぐと
神州天馬侠
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
わけて
快川
(
かいせん
)
は、こんな遠隔にありながら、去年、天正九年には、
畏
(
かしこ
)
くも、正親町天皇より
大通智勝国師
(
だいつうちしょうこくし
)
の号をいただいて、
特賜
(
とくし
)
の天恩に感泣していた。
新書太閤記:06 第六分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
信玄は、その僧へ、見向きも与えず、さっきから黙然と横耳で聞いていたが、
快川
(
かいせん
)
の
眼
(
まな
)
ざしに会うと
新書太閤記:04 第四分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
快川
(
かいせん
)
は、それと知っていながら、ゆったりと、
朱
(
しゅ
)
の
椅子
(
いす
)
から立ちもせずに、三人の武将をながめた。
神州天馬侠
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
▼ もっと見る
快川
(
かいせん
)
のような境地にまでなり得れば、武士、僧侶の差別はない。いわゆる達人の境だ。
新書太閤記:06 第六分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
そして、頭の上から注ぎかけられる熱湯を待ちながら——その意識も払いのけて——いつしか武蔵の草庵で、ひと夜、武蔵から聞いたはなしの、
快川
(
かいせん
)
和尚のことをふと思いだしていた。
宮本武蔵:08 円明の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
しかもなお、一面には、負けじたましいを、いよいよ
猛
(
たけ
)
くして、百方防備を命じながら、
韮崎
(
にらさき
)
の新城へ、
快川
(
かいせん
)
を迎えたのは、時すでに遅しではあるが——彼としてはしおらしい自省の現われであった。
新書太閤記:06 第六分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
信玄のことばに、
快川
(
かいせん
)
はうなずいた。
新書太閤記:04 第四分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
快川
(
かいせん
)
は、浮かない返辞だった。
新書太閤記:04 第四分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
“快川(快川紹喜)”の解説
快川 紹喜(かいせん じょうき、1502年〈文亀2年〉 - 1582年4月25日〈天正10年4月3日〉)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての臨済宗妙心寺派の僧。諱(いみな)は紹喜(じょうき)。字は快川。
(出典:Wikipedia)
快
常用漢字
小5
部首:⼼
7画
川
常用漢字
小1
部首:⼮
3画
“快川”で始まる語句
快川和尚
快川国師