忠真ただざね)” の例文
漂泊、遊歴の人——といっても、それ以前には、小倉の小笠原右京大夫忠真ただざねに知遇を得、かなり久しくとどまっていたらしい。
随筆 宮本武蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
けれども武田勢の追げきはげしく、本多忠真ただざね死し松平康純やすずみ死し、鳥居信元とりいのぶもと成瀬正義なるせまさよし米津政信よねづまさのぶらあいついで討ちじにをとげた。
死処 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
忠右衛門忠真ただざねは、親類じゅうでの、律義者りちぎもので通っていた。元禄の世の、この変りようにも変らない、典型的な旧態人であった。
大岡越前 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
大岡家は、十一家もあり、ここの忠右衛門忠真ただざねは、本家格ではないが、お徒士頭かちがしら、お先鉄砲組頭、駿府定番じょうばんなどを歴任し、いまは、閑役にあるといえ、やしきは大きなものだった。
大岡越前 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
もっともその前にも、五十五歳で養子の伊織を具して、小笠原忠真ただざねの軍監として島原の乱に出征していたり、二、三明白な事蹟もあるけれど、その言行までは詳しくのこっていないのである。
随筆 宮本武蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)