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御教書
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みぎょうしょ
ふりがな文庫
“
御教書
(
みぎょうしょ
)” の例文
となし、また、わが名による“
御教書
(
みぎょうしょ
)
”を発して、はやくも独自な政治的手腕のはしを見せていたが、なおかつ、東国の空をのぞんでは
私本太平記:08 新田帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
熊野三山の別当
定遍
(
じょうへん
)
、関東よりの
御教書
(
みぎょうしょ
)
なりと申し、大塔宮様にお味方する者は、陰謀与党の輩と認め、関東へいちいち注進いたす趣き、で、今日大塔宮様を
あさひの鎧
(新字新仮名)
/
国枝史郎
(著)
「なんのための
御教書
(
みぎょうしょ
)
であったでしょう。かつは宮の御家来ならどんな非理でも通ると心得おるその思い上がりが小面憎い」
私本太平記:08 新田帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
のみならず国元では兵を挙げんとする風聞さえあったので、直義は、頼遠の兄頼清へ
御教書
(
みぎょうしょ
)
を送って「一族の運命を過るな」と、それに達し
私本太平記:13 黒白帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
六波羅一
掃
(
そう
)
の後、おのれ六波羅奉行と
称
(
とな
)
え、
御教書
(
みぎょうしょ
)
などを
布令
(
ふれ
)
だし、かずかずの越権、目にあまるものがある。——その足利こそ油断ならぬ者だ。
私本太平記:09 建武らくがき帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
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今さら、
御教書
(
みぎょうしょ
)
などを下して、調査をお命じになるなどの事は、かえって、将門をして、増長させるだけのものでしょう
平の将門
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
が、結果では
御教書
(
みぎょうしょ
)
も
下文
(
くだしぶみ
)
も恩賞から雑訴までも、みな御一手で可否を決しているようなかたちになる。そして勢い御門へのみ、公卿武士のごきげんとりが集まってゆく。
私本太平記:13 黒白帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
のみならず、直義が“
御教書
(
みぎょうしょ
)
”といったときは、ふんと、鼻さきで笑うような風があった。
私本太平記:08 新田帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
それによれば、かねて
御教書
(
みぎょうしょ
)
を発しおかれた
周防
(
すおう
)
の守護、大内
長弘
(
ながひろ
)
、
長門
(
ながと
)
の守護、
厚東
(
こうとう
)
一族らが兵船五百そうの帆を揃えて、もうつい播磨沖まで、ご加勢に近づきつつあるよしにございまする
私本太平記:10 風花帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
一つ 尊氏の六波羅にあるや、みだりにみずから奉行を
称
(
とな
)
え、上のみゆるしもなき
御教書
(
みぎょうしょ
)
を発し、親王の
卒
(
そつ
)
をとらえて、これを
斬刑
(
ざんけい
)
するなど、身、司直にもあらざるに法を
執
(
と
)
り行う。これ罪の三。
私本太平記:10 風花帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
「……
御意
(
ぎょい
)
、ごもっともではござりまする。なれど六波羅奉行の
御教書
(
みぎょうしょ
)
といえば、諸州に渡っておりますし、また入京の軍勢なども、足利の証判を貰わねば、宿所割りも得られぬそうでござりますで」
私本太平記:09 建武らくがき帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
「これは、かねて
御教書
(
みぎょうしょ
)
を給わった直方ノ庄の一党」
私本太平記:11 筑紫帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
“御教書”の解説
御教書(みぎょうしょ、みきょうしょ)とは平安時代後期から室町時代にかけて、三位以上及びそれに准じる地位にある人の家司が主の意思を奉じて発給した古文書の形態。四位以下の公家や守護大名クラスの武士の家司・家僕が主の意思を奉じて発給した同形式の文書は奉書という。
(出典:Wikipedia)
御
常用漢字
中学
部首:⼻
12画
教
常用漢字
小2
部首:⽁
11画
書
常用漢字
小2
部首:⽈
10画
“御教”で始まる語句
御教
御教化
御教誨