そして天孫の御子なる彦火火出見尊ひこほほでみのみこと、その御孫なる鸕鷀草葺不合尊うがやふきあえずのみことは、また共に同じく国津神たる海神の女を妃と遊ばされたと伝えられている。
かの神代かみよ三神さんしん瓊瓊杵尊にゝぎのみこと彦火火出見尊ひこほほでみのみことそれから鸕鷀草茅葺不合尊うがやふきあへずのみこと御陵ごりようは、今日こんにち九州きゆうしゆうみなみ日向ひうが大隅おほすみ薩摩さつまほうさだめられてありますが、それは神代しんだい御陵ごりようでありますからいままをしません。
博物館 (旧字旧仮名) / 浜田青陵(著)
彦火火出見尊ひこほほでみのみことのおきさきの豊玉姫が、海岸の産屋うぶやで御子鵜草葺不合尊うがやふきあえずのみことをお生みになった事は、誰も承知の有名なお話です。
恐れ多くもわが皇室の御先祖として仰ぎ奉る彦火火出見尊ひこほほでみのみことは、御自身獣猟をなされたと伝えられております。むろん獣肉を召し上がったに相違ありません。
恐れ多くも皇祖彦火火出見尊ひこほほでみのみことは、御自身山幸彦やまさちひことして鳥獣の狩猟に従事遊ばされたのであった。さらに遡って、素戔嗚尊すさのおのみことは、御自身天斑駒の皮をお剥ぎになったのである。
かくてその御子の彦火火出見尊ひこほほでみのみことの御妃も、同じく国津神の豊玉姫とよたまひめで、さらにその御子の鵜草葺不合尊うがやふきあえずのみことの御妃は、その豊玉姫の御妹の玉依姫たまよりひめと申すお方でありました。そして神武天皇はそのお子様です。