平手中務ひらてなかつかさ)” の例文
平手中務ひらてなかつかさは相果てましたが、柴田修理権六、林佐渡通勝はやしさどみちかつ、池田勝三郎信輝、佐久間大学、森可成よしなりなど、なお人物は尠なしとしません。
新書太閤記:02 第二分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「年がいもない奴のう。平手中務ひらてなかつかさの亡き後は、そちをこそ、片腕とも頼んでいたに。——今となれば、中務を死なせて口惜しゅう思う」
新書太閤記:01 第一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
先に、信長をいさめて自刃した平手中務ひらてなかつかさと共に、先代信秀から信長を頼むと遺言された三老臣のうちで、今生き残っている者はもはや佐渡一人であった。
新書太閤記:02 第二分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
たとえば、亡き後の子の経営に、平手中務ひらてなかつかさや、その他の良い家臣らに目をかけておいて、のこして行ってくれたのも、今となれば、ひしと有難さを思う。
新書太閤記:02 第二分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
五郎左という若侍は老臣の平手中務ひらてなかつかさの子で、城内では鉄砲頭を勤め、すぐれたさむらいのひとりだった。
新書太閤記:01 第一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
平手中務ひらてなかつかさ、林新五郎、青山与三右衛門よざえもん内藤勝介ないとうかつすけ——などという良い家来を、備後守も、生前から阿呆な三郎信長の末を案じて、付けておいたので、その謀臣衆ぼうしんしゅうの協力が今日
新書太閤記:01 第一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
自分を苦諫くかんして自刃した平手中務ひらてなかつかさのためには、さすがに政秀寺せいしゅうじまで建立こんりゅうしてやった。だが、父の霊前に手を合わせたりすることは、信心ぎらいといってよいほどしたためしがなかった。
新書太閤記:03 第三分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
傅役もりやく小野角右衛門おのかくえもんが、信長のぶなが傅役もりやく平手中務ひらてなかつかさ忠諫ちゅうかんにならって
梅里先生行状記 (新字新仮名) / 吉川英治(著)