実家方さとかた)” の例文
旧字:實家方
「すると、正遠は、はや亡き人ゆえ、卯木の実家方さとかたをたどるなれば、必然、水分みくまりにて家督をつぎおる現当主、楠木兵衛となりますな」
私本太平記:03 みなかみ帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
くるまを焼いたので、牛は牛小屋から解かれ、牛飼と共に、翌る日、九条家へ帰された。玉日は、たった一人の侍女かしずきもそれにつけて、実家方さとかたへもどした。
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
だから元々は、大蔵屋敷の者だが、登子とうこの身が実家方さとかた預けとなったとき、共に赤橋家へ移って行き、今なお、登子のそばから離れてはいないのだった。
私本太平記:08 新田帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「今なれば、ない縁としよう。ほかの口実をもうけて、和御前は処女の肌のまま実家方さとかたにもどるがいい」
私本太平記:02 婆娑羅帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「じつは相談のすえ、思いきッて、妻の卯木の実家方さとかた、楠木殿にすがって、昨夜仰せあった山田小美濃の座へ、座入りの儀を、お願いしてみる所存でございまする」
私本太平記:03 みなかみ帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
皇后みきさき実家方さとかた、西園寺ノ入道実兼さねかねの北野の別荘に、桜狩の行幸みゆきがあった日のことだった。
私本太平記:02 婆娑羅帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「されば、卯木の河内の実家方さとかた、楠木家と、わが家とは、遠い姻戚にあたるのでな」
私本太平記:03 みなかみ帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
月輪つきのわ実家方さとかたからついてきた、たった一人の侍女かしずきと、牛車くるまの世話をする牛飼と、弟子の性善坊と覚明かくみょうと——このせまい草庵にもおよそ七、八名の家族はいるのであったが、夜に入ると
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
この実家方さとかたの——赤坂南部坂にある浅野土佐守の邸の奥ふかくへこもってから、瑤泉院ようぜいいんは、亡き良人内匠頭たくみのかみとの在りし日の頃の楽しかった追憶に、終日ひねもすを、仏間に端坐しているか、机に向って
新編忠臣蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
『御主人といえば、今では、奥方はお実家方さとかただし、御子達やお孫たちは無いし、上野介様と、御養子の左兵衛佐様とたったお二人の暮しに過ぎぬ。——だから用事といえば、雇人の為の雇人の用しかない』
新編忠臣蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)