定火消じょうびけし)” の例文
去定のいった先は松平壱岐守いきのかみ邸であった。それは牛込御門をはいって約二丁、定火消じょうびけしのあるちょっと手前だったが、そこへいき着くまで、去定は絶えまなしに独り言を云い続けた。
本陣世古六太夫せころくだゆうの離れ座敷に、今宵の宿を定めたのは、定火消じょうびけし御役おやく酒井内蔵助さかいくらのすけ(五千石)の家臣、織部純之進おりべじゅんのしんという若武士わかざむらいで、それは酒井家の領地巡検使という役目を初めて承わり
丹那山の怪 (新字新仮名) / 江見水蔭(著)
私が二、三日前、ふと夜店で手に入れた天保七年の御江戸分間地図を見ると、道三橋からたつくち、八代洲河岸にかけて、諸大名や、林大学頭だいがくのかみの御上屋敷、定火消じょうびけし屋敷などが立並んでいる。
不尽の高根 (新字新仮名) / 小島烏水(著)
定火消じょうびけしを右に見てあれから湯島四丁目へかかると藤堂様のお邸がある。追いついたのは聖堂裏であった。そのころは杉の大木が繁っていてあそこらは昼でも薄気味の悪いところ、ましてや夜。