孫策そんさく)” の例文
江南江東八十一州は、今や、時代の人、孫策そんさくの治めるところとなった。兵は強く、地味は肥沃ひよく、文化は溌剌はつらつと清新を呈してきて
三国志:04 草莽の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
呉夫人の妹の子である周瑜は、先主孫策そんさくと同い年であったから、孫権よりは年上だが、諸大将のうちでは、最年少者であった。
三国志:07 赤壁の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
孫策そんさくは、すでに、曹操との軍事経済同盟の約束によって、大江をわたり、南のほうから進撃の途中にあったが、曹操の書簡を手にして
三国志:04 草莽の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
呉の孫策そんさくが没した年、継いで呉主として立った孫権に見出されて、それに仕える身となったことはさきに書いたとおりである。
三国志:06 孔明の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ただ国境の守りに怯々きょうきょうたる事なかれ主義の男です。——あんな者に労を費やすよりは、むしろ南方の呉国ごこく孫策そんさくの勢力こそ用うべきでありましょう。
三国志:06 孔明の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
彗星すいせい的な風雲児、江東の小覇王孫策そんさくは、当年まだ二十七歳でしかないが、建安四年の冬には、廬江ろこうを攻略し、また黄祖、劉勲りゅうくんなどを平げて恭順を誓わせ
三国志:06 孔明の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
かつては江東の孫策そんさくの父孫堅そんけんすら、その領土へ侵入しては、惨敗の果てその身も戦死をとげ、恨み多き哀碑あいひを建てて、いたずらに彼を誇らせたほどな地である。
三国志:05 臣道の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ここに、呉の長沙ちょうさの太守孫堅そんけん遺子わすれがたみ孫策そんさくも、いつか成人して、当年二十一歳の好青年となっていた。
三国志:04 草莽の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
お父上の孫堅そんけん、兄君の孫策そんさく、いずれも寡兵かへいをひっさげて、戦乱の中に起ち、千辛万苦の浮沈をつぶさにおなめ遊ばして、はじめて、呉の基業をおひらきなされたものじゃが、そなたのみは
三国志:07 赤壁の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「では、孫策そんさくは」
三国志:05 臣道の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)