大梁たいりょう)” の例文
荘子の腰を下している黍畑きびばたけの縁の土坡どての前は魏の都の大梁たいりょうから、韓の都の新鄭を通り周の洛邑らくゆうに通ずる街道筋に当っていた。
荘子 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
五代ごだいの頃、大梁たいりょう王彦章おうげんしょうは、日影のまだうつろわぬうちに、とうの将三十六人を、矢つぎ早に射て仆したというが、張清のつぶては、王彦章には及ばぬまでも、たしかに当代の神技
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
宮廷では驚いて、その所在をさがすと、前に逃散した賊兵を追いかけて行くと称しながら、楊奉、韓暹の二人が引率して大梁たいりょう(河南省)の方面へさして行ったということがやっと分った。
三国志:04 草莽の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
それは不平組の楊奉と、白波帥はくはすいの山賊あがりの韓暹かんせんと、二人がしめし合わせて、大梁たいりょうへ落ちて行ったものです。——将軍の威望をそねむ鼠輩そはいの盲動。何ほどのことをしでかしましょうや。
三国志:04 草莽の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)