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周瑜
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しゅうゆ
ふりがな文庫
“
周瑜
(
しゅうゆ
)” の例文
いや、そのことなら、実はすべて
周瑜
(
しゅうゆ
)
の謀略なのだ。いま荊州を取らんには、またぞろおびただしい軍費と兵力を消費せねばならん。
三国志:08 望蜀の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
定正がアッチへ逃げたりコッチへ逃げたりするのも
曹操
(
そうそう
)
が
周瑜
(
しゅうゆ
)
に追われては
孔明
(
こうめい
)
の智なきを笑うたびに伏兵が起る如き巧妙な作才が無い。
八犬伝談余
(新字新仮名)
/
内田魯庵
(著)
周瑜
(
しゅうゆ
)
はひきうけて、次の日、東城へ立った。そして魯粛の田舎を訪ねるときは、わざと供も連れず、ただ一騎で、そこの門前に立った。
三国志:06 孔明の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
周瑜
(
しゅうゆ
)
はいよいよ苦りきるし、魯粛もまた甚だしく不快な顔をして見せた。孔明のいっていることは、まるで反戦的だからである。
三国志:07 赤壁の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
ここにまた、
盧江
(
ろこう
)
松滋
(
しょうじ
)
(安徽省・安慶)の人で、
陳武
(
ちんぶ
)
、
字
(
あざな
)
を
子烈
(
しれつ
)
というものがある。陳武と
周瑜
(
しゅうゆ
)
とは同郷なので、かねて通じていたものか
三国志:04 草莽の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
▼ もっと見る
孫軍のうちから
周瑜
(
しゅうゆ
)
、
程普
(
ていふ
)
の二将が、いつのまにか後ろへまわって退路をふさぐ形をとったので、
会稽
(
かいけい
)
城の兵は全軍にわたって乱れだした。
三国志:04 草莽の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
そなたの妹は、
周瑜
(
しゅうゆ
)
に
娶合
(
めあ
)
わせてある。よくそなたからも妹にいって、周瑜をして、
孫権
(
そんけん
)
を補佐するよう……よいか、内助を
三国志:06 孔明の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
「そのことは、あなた一箇のお考えですか。それとも
周瑜
(
しゅうゆ
)
あたりから云い出されたことですか。もしくはまた、呉侯のご内意でもあるか……」
三国志:08 望蜀の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
「——内事決せずんばこれを張昭に問え。外事紛乱するに至らばこれを
周瑜
(
しゅうゆ
)
に計るべし——と仰っしゃったではなかったか」
三国志:07 赤壁の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
と、
愕
(
おどろ
)
きをなして、急に、
周瑜
(
しゅうゆ
)
の本陣へ急いで行った。——そして帳外にたたずみ、ひそかに主客の席をうかがっていた。
三国志:07 赤壁の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
それは、
周瑜
(
しゅうゆ
)
が
金創
(
きんそう
)
の重態で仆れたことと、荊州、襄陽、南郡の三要地を、玄徳に取られたことの二つだった。
三国志:08 望蜀の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
むかし
周瑜
(
しゅうゆ
)
は呉の第一の要害は陸口なりとして、守備の大将に
魯粛
(
ろしゅく
)
をえらび、その魯粛はまたご辺を
三国志:10 出師の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
彼は
盧江
(
ろこう
)
(
安徽省
(
あんきしょう
)
)の生れで、
周瑜
(
しゅうゆ
)
字
(
あざな
)
を
公瑾
(
こうきん
)
といい、孫策とは少年時代からの竹馬の友だったが、その快挙を聞いて、共に助けんと、ここまで急いで来たのだと語った。
三国志:04 草莽の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
周瑜
(
しゅうゆ
)
は赤壁に曹操を破ったが不幸早く世を去った。
魯粛
(
ろしゅく
)
も帝王の大略を蔵していたが荊州を取るには到らなかった。けれどこの二人はたしかに予の半生中に会った快傑であった。
三国志:10 出師の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
「まず、ご熟慮を仰ぎます。陸遜の才は、呂蒙に劣らず、
周瑜
(
しゅうゆ
)
の下でもありません」
三国志:10 出師の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
巴丘
(
はきゅう
)
の
周瑜
(
しゅうゆ
)
は、その領地から夜を日についで、呉郡へ馳けつけてきた。
三国志:06 孔明の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
周
常用漢字
小4
部首:⼝
8画
瑜
漢検1級
部首:⽟
13画
“周瑜”で始まる語句
周瑜公