司馬遷しばせん)” の例文
この刑を受けた者を閹人えんじんと称し、宮廷の宦官かんがんの大部分がこれであったことは言うまでもない。人もあろうに司馬遷しばせんがこの刑にったのである。
李陵 (新字新仮名) / 中島敦(著)
この内最後の孔子廟の情況は著者司馬遷しばせん自身の見聞にもとづいているが、その他はいずれも『論語』や『孟子』以後の伝説たることを立証し得るもののみと言ってよい。
孔子 (新字新仮名) / 和辻哲郎(著)
これらの人々の行跡ぎょうせきをあげて、司馬遷しばせんが『史記』の一篇に『貨殖列伝かしょくれつでん』を書きしるしたのでありますが、後世の学者たちが、その所説を卑しいとして、筆をそろえてこれを非難したのは
「お借りした唐の白居易はっきょいの詩書だの、司馬遷しばせんの史記だのを読んでいました」
源頼朝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ただ大きいものは、その欠点までが大きく写ってくるのは、これはやむを得ない。司馬遷しばせんは極度の憤怨ふんえんのうちにあってもこのことを忘れてはいない。
李陵 (新字新仮名) / 中島敦(著)
司馬遷しばせんりょうのために弁じて罪をえたことを伝える者があった。李陵は別にありがたいとも気の毒だとも思わなかった。
李陵 (新字新仮名) / 中島敦(著)