信順のぶゆき)” の例文
重症で曼公の遺法も功を奏せなかったと見える。三月二十八日に、長子恒善つねよしが二十六歳で、柳島に隠居していた信順のぶゆき近習きんじゅにせられた。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
弘前藩はすべからく当主順承ゆきつぐと要路の有力者数人とを江戸にとどめ、隠居信順のぶゆき以下の家族及家臣の大半を挙げて帰国せしむべしというのである。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
允成は天保てんぽう二年六月からは、出羽国亀田かめだの城主岩城いわき伊予守いよのかみ隆喜たかひろに嫁した信順のぶゆきの姉もと姫に伺候し、同年八月からはまた信順の室欽姫附かねひめづきを兼ねた。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
此日津軽家隠居附たるを以て柳島の下屋敷にちよくしてゐて遭難したのである。隠居は出羽守信順のぶゆきである。渡辺は弘前人の江戸にあつて此地震に死した三人中の一人であつたと云ふ。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)