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俊寛僧都
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しゅんかんそうず
ふりがな文庫
“
俊寛僧都
(
しゅんかんそうず
)” の例文
新大納言の君の
御発意
(
ごほつい
)
で、この月十三日ごろ
鹿
(
しし
)
ヶ
谷
(
たに
)
俊寛僧都
(
しゅんかんそうず
)
の
庵
(
いおり
)
に、同気の
輩
(
ともがら
)
がうち
集
(
つど
)
うて、何かと、お談じ申したいとのことであるが、貴公にも
親鸞
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
島がくれゆく
京洛
(
みやこ
)
の船を呼び返している
俊寛僧都
(
しゅんかんそうず
)
の悲しみが、生々しい実感で今松の胸へと伝わってきた。
寄席
(新字新仮名)
/
正岡容
(著)
今から四十年前に小説復刻の元祖たる南
伝馬町
(
てんまちょう
)
の
稗史
(
はいし
)
出版社に続いて馬琴の『
俊寛僧都
(
しゅんかんそうず
)
島物語』や
風来
(
ふうらい
)
の『六々部集』を覆刻したので読書界に知られた印刷所であった。
硯友社の勃興と道程:――尾崎紅葉――
(新字新仮名)
/
内田魯庵
(著)
鹿
(
しし
)
ヶ
谷
(
たに
)
の
俊寛僧都
(
しゅんかんそうず
)
の
庵
(
いおり
)
に
衆会
(
しゅうえ
)
のお催しあることと存じまするが、院の
御深
(
みふか
)
くに
在
(
お
)
わしてすら、
道聴途説
(
どうちょうとせつ
)
、とかく、世上のうるさい折から、さような集まりの席へ
親鸞
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
この峰の中腹には、その当時、
住蓮山
(
じゅうれんざん
)
安楽寺といって——以前は
法勝寺
(
ほっしょうじ
)
ともいった一院があって、そこを山荘として住んでいたのが、例の、
俊寛僧都
(
しゅんかんそうず
)
であったのだ。
親鸞
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
▼ もっと見る
康頼は、
鹿
(
しし
)
ヶ
谷
(
たに
)
事件の露顕した後、
俊寛僧都
(
しゅんかんそうず
)
と一しょに、薩摩の孤島へ流されたが、都の老母をわすれかねて、千本の卒都婆を削り、それに母恋しの和歌を書いては、日課のように、潮へ流していた。
随筆 新平家
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
“俊寛僧都(
俊寛
)”の解説
俊寛(しゅんかん、康治2年(1143年) - 治承3年3月2日(1179年4月10日))は、平安時代後期の真言宗の僧。僧位の「僧都」を冠して俊寛僧都(しゅんかん そうず)と呼ばれることも多い。
村上源氏の出身で、父は木寺(仁和寺院家)の法印寛雅、母は宰相局(源国房の娘で八条院暲子内親王の乳母)。姉妹に大納言局(八条院女房で平頼盛の妻)。
(出典:Wikipedia)
俊
常用漢字
中学
部首:⼈
9画
寛
常用漢字
中学
部首:⼧
13画
僧
常用漢字
中学
部首:⼈
13画
都
常用漢字
小3
部首:⾢
11画
“俊寛”で始まる語句
俊寛
俊寛等