一立斎広重いちりゅうさいひろしげの『東都名勝』のうち赤羽根の図を見ると柳の生茂おいしげった淋しい赤羽根川あかばねがわつつみに沿うて大名屋敷の長屋が遠く立続たちつづいている。
美人画の五渡亭国貞ごとていくにさだ、風景画の一立斎広重いちりゅうさいひろしげ、武者絵の一勇斎国芳いちゆうさいくによしと名人上手簇出ぞくしゅついきおいに駆られて、天保年間の流行は、いやしくも絵心あるものは、猫も杓子も、いや国主大名から、質屋の亭主
目の覚めるような白玉の高御座たかみくらをすえたのが、富士山であったことは、初代一立斎広重いちりゅうさいひろしげの『絵本江戸土産』初篇開巻に掲出せられて、大江戸の代表的風光として、知られていたのであった。
不尽の高根 (新字新仮名) / 小島烏水(著)
一立斎広重いちりゅうさいひろしげの板画について、雪に埋れた日本堤や大門外の風景をよろこぶ鑑賞家は、鏡花子の筆致のこれに匹如ひつじょたることを認めるであろう。
里の今昔 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
ここに葛飾北斎かつしかほくさい一立斎広重いちりゅうさいひろしげの二大家現はれ独立せる山水画を完成し江戸平民絵画史に掉尾とうびの偉観を添へたり。
江戸芸術論 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
しかし北斎及びその門人昇亭北寿しょうていほくじゅまた一立斎広重いちりゅうさいひろしげらの古版画は今日なお東京と富士山との絵画的関係を尋ぬるものに取っては絶好の案内たるやいうをたない。
観音堂が一立斎広重いちりゅうさいひろしげの名所絵に見るような旧観に復する日はおそらくもう来ないのかも知れない。
草紅葉 (新字新仮名) / 永井荷風(著)