“すどう”のいろいろな漢字の書き方と例文
語句割合
簾藤25.0%
修道25.0%
須藤25.0%
首藤25.0%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
森川町の草津の湯の傍の簾藤すどうという下宿屋に転じたのはその後であった。この簾藤時代が緑雨の最後の文人生活であった。
斎藤緑雨 (新字新仮名) / 内田魯庵(著)
簾藤すどうへ転じてからこの気風がまるで変ってしまった。服装なりも書生風よりはむしろ破落戸ごろつき——というと語弊があるが、同じ書生風でも堕落書生というような気味合があった。
斎藤緑雨 (新字新仮名) / 内田魯庵(著)
その修道すどう者として、薬学の心得のあった玄白斎は、島津重豪しげひでが、薬草園を開き、蘭法医戸塚静海を、藩医員として迎え、ヨーンストンの「阿蘭陀本草和解」
南国太平記 (新字新仮名) / 直木三十五(著)
名前は須藤すどうと申していましたが、それさえ本当の名かどうか分りません。
悪魔の紋章 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
聞て所の代官だいくわん首藤すどう源兵衞より公儀こうぎ御代官二また陣屋ぢんや大草おほくさ太郎左衞門殿へ差出し一通り吟味の上駿府へ差送さしおくりに相なり石川安五郎はあがり屋入申付られ其後同所町奉行桑山下野守くはやましもつけのかみ殿種々しゆ/″\吟味ぎんみありしかど重五郎を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)