“げんしゅん”のいろいろな漢字の書き方と例文
語句割合
厳峻33.3%
玄俊16.7%
元俊16.7%
厳畯16.7%
玄春16.7%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
氏郷は法を執ること厳峻(げんしゅん)な人で、極端に自分の命令の徹底的ならんことを然る可き事とした人である。
蒲生氏郷 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
然るに二世瑞仙晋(しん)の子直温(ちょくおん)の撰んだ過去帖(かこちょう)には、独美の弟玄俊(げんしゅん)の子だとしてある。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
この書の記(き)する所は、わたくしのために創聞(そうぶん)に属するものが頗(すこぶ)る多い。就中(なかんずく)異(い)とすべきは、独美に玄俊(げんしゅん)という弟があって、それが宇野氏を娶(めと)って、二人の間に出来た子が京水だという一事(いちじ)である。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
弘前ではこれより先藩学稽古館(けいこかん)に蘭学堂を設けて、官医と町医との子弟を教育していた。これを主宰していたのは江戸の杉田成卿(せいけい)の門人佐々木元俊(げんしゅん)である。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
昂然(こうぜん)、また代って立ったのは、彭城(ほうじょう)の厳畯(げんしゅん)、字は曼才(まんさい)。
三国志:07 赤壁の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
為隣は寛保(かんぽう)元年正月十一日に家を継いで、二月十三日に通称の玄春(げんしゅん)を二世玄瑳(げんさ)と改め、翌寛保二年七月二日に歿し、跡には登勢が十二歳の未亡人(びぼうじん)として遺(のこ)された。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)