“おうみの”の漢字の書き方と例文
語句割合
近江100.0%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
大海人皇子おおしあまのみこと申し上げた。天智天皇に皇子がなかったので早く東宮となられ、近江おうみの朝廷のもとに、長い間大和の施政に尽力された練達の政治家であった。
大和古寺風物誌 (新字新仮名) / 亀井勝一郎(著)
「——近江おうみの中将蓮浄れんじょうどの、法勝寺ほっしょうじ執行しゅぎょう俊寛僧都しゅんかんそうず山城守基兼やましろのかみもとかねどの、式部大輔正綱しきぶだいふまさつなどの、平判官康頼へいほうがんやすよりどの、また、新判官資行しんほうがんすけゆきどのを始めとして、かく申す右衛門尉うえもんのじょう、ならびに、蔵人行綱くろうどゆきつな
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
近江おうみの中将入道蓮浄れんじょう俗名成正なりまさ法勝寺執行ほっしょうじのしゅぎょう俊寛僧都そうず山城守基兼やましろのかみもとかね式部大輔雅綱しきぶのたいふまさつな、平判官康頼、宗判官信房そうはんがんのぶふさ新平判官資行しんへいはんがんすけゆき摂津国せっつのくに源氏多田蔵人行綱ただのくらんどゆきつなといった連中で、他に北面の武士が多かった。
「ようたとえられた。まことに、法皇の御気色みけしきは、照り降り雨、われらが側近にあれば、また変る。お案じあるな」席には、近江おうみの入道蓮浄、山城守基兼もとかね平判官へいほうがん康頼、その他の人々がいた。
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)