金盥かなだらい)” の例文
適当な花瓶かびんがなかったからしばらく金盥かなだらいへ入れておいた。室咲きであるせいか、あのひばりの声を思わせるような強い香がなかった。
病室の花 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
「そんなこったろうと思った。やれやれ、とんだ御馳走ごちそうだ。エルネスチイヌ、急いで金盥かなだらいを持っといで。そら、お前の用事ができた」
にんじん (新字新仮名) / ジュール・ルナール(著)
お増は楊枝ようじや粉を、自身浅井にあてがってから、銅壺どうこから微温湯ぬるまゆを汲んだ金盥かなだらいや、石鹸箱などを、硝子戸の外の縁側へ持って行った。
(新字新仮名) / 徳田秋声(著)
と、下地子したじっこらしい十二三なのが、金盥かなだらいを置いて引返して来て、長火鉢のわきの腰窓をカタンと閉めたので、お孝の姿は見えなくなった。
日本橋 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
池田は一番苦痛のない死に方を選び、大量の睡眠剤を飲んだ上、金盥かなだらいに温湯を入れ、そこに動脈を切った手首を入れたものらしい。
さようなら (新字新仮名) / 田中英光(著)
(冗談ぢやあない。それが割れたらあしたから御飯を食べる茶碗がねえや。困るんだよ、まさか俺だつて金盥かなだらいから飯も食へめえ。)
竹藪の家 (新字旧仮名) / 坂口安吾(著)
「もっと卑近な例がある、泥棒がはいったとき金盥かなだらいを叩いて火事だ火事だと騒ぐやつ、あれだよ」東湖はにやりともせずに云った
新潮記 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
なかば開きし障子しょうじの外の縁先には帯しどけなき細面ほそおもての女金盥かなだらいに向ひて寝起ねおきの顔を洗はんとするさまなぞ、柔情にゅうじょう甚だ忘るべからざる心地ここちす。
江戸芸術論 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
海岸からはだいぶ道程みちのりのある山手だけれども水は存外悪かった。手拭てぬぐいしぼって金盥かなだらいの底を見ていると、たちまち砂のようなおりおどんだ。
彼岸過迄 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
河豚内ふぐないに負ぶッてかわやへ連れて行けと言う、酒をもどしそうだから金盥かなだらいを持参せいと言う、口をふけと言う、背中をさすれと仰っしゃる。
江戸三国志 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
私の方は、こいつのやくざないのちを助けるために一所懸命にやらねばならん。それからジムには金盥かなだらいをここへ持って来て貰おうね。
四十格好の克明こくめいらしい内儀かみさんがわが事のように金盥かなだらいに水を移して持って来てくれた。葉子はそれで白粉気おしろいけのない顔を思う存分に冷やした。
或る女:1(前編) (新字新仮名) / 有島武郎(著)
金盥かなだらいの中を覗くとドロドロの飯粒と、糸蒟蒻いとこんにゃくが漂っている中に白い錠剤みたようなもののフヤケたのがフワフワと浮いている。
山羊髯編輯長 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
女中が浴衣を抱え、おとのさんという赤熊しゃぐまのような縮れ毛をした、ブルドック型の色の黒いお附女中が、七ツ道具を金盥かなだらいへ入れて捧げてゆく。
ここには水指みずさし漱茶碗うがいちゃわんと湯を取った金盥かなだらいとバケツとが置いてある。これは初の日から極めてあるので、朝晩とも同じである。
(新字新仮名) / 森鴎外(著)
そら近頃このごろ出来たパン屋の隣に河井さんて軍人さんがあるだろう。彼家あそこじゃア二三日前に買立のあかの大きな金盥かなだらいをちょろりとられたそうだからねえ
竹の木戸 (新字新仮名) / 国木田独歩(著)
それから、金盥かなだらいに冷い水をんで来て、タオルをしぼると、額の上にせてやりました。こうして置いて私は、現場調査にとりかかったのです。
崩れる鬼影 (新字新仮名) / 海野十三(著)
それが沈着おちついて、すこしウトウトしたかと思うと、今度はまた激しいかわきの為に、枕元にある金盥かなだらいの水までも飲もうとした。
芽生 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
せた小柄な細君の体は鏡台の方へ倒れかかった。その細君の右の手は章一がひげった金盥かなだらいふちにあたった。金盥はひっくりかえって水がこぼれた。
一握の髪の毛 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
出て来ると楊枝箱ようじばこ真鍮しんちゅうの大きな金盥かなだらいにお湯をって輪形りんなりの大きなうがい茶碗、これも錦手にしきでか何かで微温ぬるまの頃合の湯を取り、焼塩が少し入れてあります。
霧陰伊香保湯煙 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
った金は千両箱が一つ、万事うまく行って、イザ逃げ出そうという時、目ざとい主人六兵衛に騒ぎ出され、大勢の雇人が、金盥かなだらいを叩いて急を告げたので
敷布のくぼみの血だまり、籐椅子の上の金盥かなだらいには、赤い水が縁まで、なみなみとたたえられている。血飛沫ちしぶきが壁紙と天井になまなましい花模様をかいている。
金狼 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
小さい金盥かなだらいに、タオルを畳んでいれて、それを水にひたして、ブラシをそのタオルに押しつけては水をつけ、それでもって、シャッシャッと摩擦するのである。
パンドラの匣 (新字新仮名) / 太宰治(著)
縁側えんがわには水を入れた金盥かなだらいが置いてある。顔料を溶かす特殊の油も用意されている。さて、これから、役者がする様に、死人の顔のこしらえを始めようというわけだ。
恐怖王 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
宿の横の、土管焼の井筒が半分往来へ跨がった井戸傍で、私はそこにほうりだしたブリキの金盥かなだらい竿釣瓶さおつるべの水を汲みこんで、さて顔を洗いながら朝飯のあてを考えた。
世間師 (新字新仮名) / 小栗風葉(著)
朝餉あさげくはぬ例なれば昼飯待たるるなり。やがて母は、歯磨粉、楊枝ようじ、温湯入れしコツプ、小きブリキの金盥かなだらいなど持ち来りて枕元に置く。少しうがひして金盥に吐く。
明治卅三年十月十五日記事 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
銭湯へ行くときでも二人は家の戸を閉め一緒に金盥かなだらいを持って出かけ、また並んで帰って来た。高次郎氏の役所からの帰りには必ず遠くまで夫人は出迎えにいっていた。
睡蓮 (新字新仮名) / 横光利一(著)
「名山さん、金盥かなだらいが明いたら貸しておくれよ」と、今客を案内して来た小式部という花魁が言ッた。
今戸心中 (新字新仮名) / 広津柳浪(著)
雛妓は、それから長袖ながそでを帯の前に挟み、老婢ろうひに手伝って金盥かなだらいの水や手拭てぬぐいを運んで来て、二階の架け出しの縁側で逸作と息子が顔を洗う間をまめまめしく世話を焼いた。
雛妓 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
安達君は金盥かなだらいを叩き鳴らして近所へ急を報じた。隣家の書生が出て来て手伝ったのだけれど、それがどう間違ったのか、安達君の武勇伝として新聞に現われたのである。
求婚三銃士 (新字新仮名) / 佐々木邦(著)
私はふと落した視線の中にベッドの傍の金盥かなだらいを見つけ、そして、それになみなみとたたえられた赤いものを見ると、何んだかとても悪いことをしたような気がして、その儘
「じゃ、神ともにいませ、バトゥウシュカ、でしょう」とリザベタは言いながら、金盥かなだらいで手を洗った。「あなたは何も、その方についてゆくには及ばないじゃありませんか」
ときどき起き上がるとトプッと枕許の金盥かなだらいへまた血を吐いた、ほんの鶏頭の花ほどだったが。
小説 円朝 (新字新仮名) / 正岡容(著)
次が臺所だいどころで、水瓶みづがめでも手桶てをけでも金盥かなだらいでも何でも好く使込むであツて、板の間にしろかまどにしろかまにしろお飯櫃はちにしろ、都てふきつやが出てテラ/\光ツてゐた。雖然外はきたない。
平民の娘 (旧字旧仮名) / 三島霜川(著)
もう一度鏡がきらりと光って、癖直しの湯を入れた金盥かなだらいを片手に、お久は立って廊下へ出た。
蓼喰う虫 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
室内は静まり返って、暖炉の上に置かれた金盥かなだらいの水が軽く音を立てて湯気を発散していた。
外務大臣の死 (新字新仮名) / 小酒井不木(著)
たてた戸の間から金盥かなだらいを持って風呂へ出かけてゆく女の下駄が鳴り、ローラースケートを持ち出す小店員、うどんの出前を運ぶ男、往来の真中で棒押しをしている若者などが
ある心の風景 (新字新仮名) / 梶井基次郎(著)
料理女のオリガが、水差しと銅の金盥かなだらいとタオルと海綿を持って、後からついて行く。沖の錨地に、汚れた白煙突をした見慣れぬ汽船が二艘碇泊している。外国の貨物船らしい。
決闘 (新字新仮名) / アントン・チェーホフ(著)
また金持はとかくに金が余って気の毒な運命にとらえられてるものだから、六朝仏りくちょうぶつ印度仏いんどぶつぐらいでは済度とくどされない故、夏殷周かいんしゅうの頃の大古物、妲己だつき金盥かなだらいに狐の毛が三本着いているのだの
骨董 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
ある夜中井林急に金盥かなだらいたたき火事と呼んで走り廻ったので樫田氏の家内大騒ぎし、まず重次郎氏当時幼少なるを表神保町じんぼうちょう通りへ立ち退かせたが、一向火の気がないので安心したものの
ソコで洗手盥ちょうずだらい金盥かなだらいも一切食物しょくもつ調理の道具になって、暑中など何処どこからか素麺そうめんを貰うと、その素麺を奥の台所で湯煮ゆでて貰うて、その素麺を冷すには、毎朝、顔を洗う洗手盥をもって来て
福翁自伝:02 福翁自伝 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
先ず試して御覧なさい。即ち石油を用いて夜中に取るのです。ちょっとの試験なら小皿か浅い小さな金盥かなだらいのようなものへ極く悪い石油を入れて夜分天井にいる蠅の下へ持って行くのです。
食道楽:秋の巻 (新字新仮名) / 村井弦斎(著)
これはまたどら猫を金盥かなだらいへたたきつけたような、恐ろしいじゃじゃら声なのだ。
つづれ烏羽玉 (新字新仮名) / 林不忘(著)
女郎花おみなえしすすきとを持って来てくれた。弥勒みろくの野からとったのであると言った。母親は金盥かなだらいに水を入れて、とりあえずそれを病人のまくらもとに置いた。清三はうれしそうな顔をしてそれを見た。
田舎教師 (新字新仮名) / 田山花袋(著)
播磨はりま印南いんなん郡では迷子を捜すのに、村中松明たいまつをともし金盥かなだらいなどを叩き、オラバオオラバオと呼ばわってあるくが、別に一人だけわざと一町ばかり引き下って桝を持って木片などで叩いて行く。
山の人生 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
ミチは他の女性の様に銭湯へ行くのに、金盥かなだらいやセルロイドのおけなぞに諸道具を入れて抱えて行く様な真似はしない。手拭てぬぐい一本に真白な外国のシャボンを入れた石鹸函せっけんばこだけを持って行くだけなのだ。
刺青 (新字新仮名) / 富田常雄(著)
金盥かなだらいいつぱい血をお吐きなさい。瘠せ、青ざめ、呼吸いきも絶え絶えにおなりなさい。藪医者は匙を投げ、見舞客は顔をそむけ、坊主は戒名を工夫するでしよう。よろしい。後は、僕が引き受けます。
光は影を (新字新仮名) / 岸田国士(著)
口の中の湯がつきるとプップッとつばを吹っ掛けて洗うというその遣り方が実におかしいです。もっともまた金盥かなだらいに水を取ってすっかり洗う人もありますが、唾を吹き掛けて洗う先生たちが随分ある。
チベット旅行記 (新字新仮名) / 河口慧海(著)
「これはこれは、いた入谷いりや金盥かなだらいでございますな」
大菩薩峠:22 白骨の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
先生はこの日あたりのへやの中へ大きな火鉢を置いて、五徳ごとくの上に懸けた金盥かなだらいから立ちあが湯気ゆげで、呼吸いきの苦しくなるのを防いでいた。
こころ (新字新仮名) / 夏目漱石(著)