朝廷ちょうてい)” の例文
京都きょうと朝廷ちょうてい天皇てんのうがた)も、修好通商条約しゅうこうつうしょうじょうやくをむすぶことにははんたいでした。いっぽう、ハリスからのさいそくはつよくなりました。
太子たいしのおとくがだんだんたかくなるにつれて、いろいろ不思議ふしぎことがありました。あるとき甲斐かいくにから四そくしろい、くろ小馬こうまを一ぴき朝廷ちょうてい献上けんじょういたしました。
夢殿 (新字新仮名) / 楠山正雄(著)
軒冕けんべん(高貴の人の乗る馬車)の中におれば、山林の気味なかるべからず。林泉りんせん田舎いなかの意)の下にりては、すべからく廊廟ろうびょう朝廷ちょうてい)の経綸けいりんいだくを要すべし」
自警録 (新字新仮名) / 新渡戸稲造(著)
丈夫じょうぶに織りあげる必要もあったくらいで、ただ朝廷ちょうていへのみつぎもの、または領主への年々の献上品けんじょうひんだけが、上布じょうふといって、精巧な布でなければならなかったのだが
母の手毬歌 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
京へ凱旋がいせんしてのち、七ほんやり連中れんちゅうをはじめ諸将しょしょうの下のものへまで、すべて、論功行賞ろんこうこうしょうをやったかれにはまた、朝廷ちょうていから、じゅ参議さんぎせらるという、位官いかんのお沙汰さたがくだる。
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
昔、朝廷ちょうていでは毎年七月に相撲すもう節会せちえもよおされた。日本全国から、代表的な力士をされた。昔の角力すもうは、打つる投げるといったように、ほとんど格闘かくとうに近い乱暴なものであった。
大力物語 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
わたくし地上ちじょうったころ朝廷ちょうていみなみきたとのふたつにわかれ、一ぽうには新田にった楠木くすのきなどがひかえ、他方たほうには足利あしかがその東国とうごく武士ぶしどもがしたがい、ほとんど連日れんじつ戦闘たたかいのないとてもない有様ありさまでした……。
ところが皇子はご即位そくいになるまえに、お身持ちの上について、ある言うに言われないまちがいごとをなすったので、朝廷ちょうていのすべての役人やしもじもの人民たちがみんな皇子をおいとい申して
古事記物語 (新字新仮名) / 鈴木三重吉(著)
けれども、諭吉ゆきちは、あたらしい政府せいふ不安ふあんをもっていました。なぜなら、朝廷ちょうていは、まえから、くにをひらくことにはんたいしていたからです。
朝廷ちょうてい二派ふたはかれたものですから、自然しぜんおそばの武士ぶしたちの仲間なかま二派ふたはかれました。
鎮西八郎 (新字新仮名) / 楠山正雄(著)
シナ太古の聖人が世をおさむる時代には朝廷ちょうてい諫鼓かんこという太鼓のような物をそなえおいて、誰人たれびとにても当局に忠告せんとする者はこれを打つと、役人が出て諫言かんげんを聴いたと伝えるが
自警録 (新字新仮名) / 新渡戸稲造(著)
菊亭右大臣きくていうだいじんともある堂上どうじょうやかたへ、うかつに手を入れれば、後日ごじつ朝廷ちょうていから、どんなおとがめがあるかもしれないから——これは秀吉ひでよしじしんの手をもってしても、めったなことはできないのであろう。
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
せがれの釜次郎かまじろう武揚たけあきのこと)が、朝廷ちょうていのおこころにそむきまして、つみをおかしたことは、まことにおそれおおいことでございますが、釜次郎かまじろうはひじょうな親思おやおもいもので