うれ)” の例文
身も魂も投げ出して追憶の甘きうれいにふけりたいというはかない慰藉なぐさめもてあそぶようになってから、私は私にいつもこう尋ねるのであった。
山の手の子 (新字新仮名) / 水上滝太郎(著)
わがとこは我を慰め、休息やすらいはわがうれいを和らげんと、我思いおる時に、汝は夢をもて我を驚かし、異象まぼろしをもて我をおそれしめたまう。……
とにかく、彼の死後は、しばらくの間、天地も寥々りょうりょうの感があった。ことに、蜀軍の上には、天うれい地悲しみ、日の色も光がなかった。
三国志:11 五丈原の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
すこしも行末のことにうれいをもたずにいることが甚だしい間ちがいではなかろうかと、そんなことを漠然と波を見入っては考えていた。
津の国人 (新字新仮名) / 室生犀星(著)
陰※いんえいたる空におおわれたる万象ばんしょうはことごとくうれいを含みて、海辺の砂山にいちじるき一点のくれないは、早くも掲げられたる暴風警戒けいかい球標きゅうひょうなり。
取舵 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
しかし実際は「大分好い」よりもむしろ大分悪かつたのであらう。現に先生の奥さんなどはうれはしい顔をしてゐられたものである。
二人の友 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
大柄な、髪のゆたかな、なんでも承知しているような、やさしいうれい顔の人なのです。僕はその人を「おばさん。」と呼びます。
わが師への書 (新字新仮名) / 小山清(著)
かの藍玉屋の金蔵の如きは、執心しゅうしんの第一で、何かの時にうれいを帯びたお豊の姿を一目見て、それ以来、無性むしょうのぼりつめてしまったものです。
二人はうれいを打ち消そうとして杯を重ねた。三月も半ばを過ぎて、浪華の花を散らす春雨は夜の更けるまでしめやかに聞えた。
心中浪華の春雨 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
感心の薄らぐと共に却て又一種の疑いを生じたり、此女うれいに沈めるには相違なきも真実愁いに沈みし人が衣類に斯くも注意する暇あるや
血の文字 (新字新仮名) / 黒岩涙香(著)
二十一といふにしては、少し初々うひ/\しく、健康で明るくて、心配もうれひも利かない姿ですが、それだけ愛嬌者で、誰にでも好かれさうな女です。
やがて彼は病室へ戻って来た。すると、妻はいままで閉じていた眼をパッと見ひらいた。「行ってみる時刻でしょう」と妻はうれわしげに云う。
秋日記 (新字新仮名) / 原民喜(著)
うれひつゝ丑松は小山の間の細道を歩いた。父をの牧場に訪れたは、丁度足掛三年前の五月の下旬であつたことを思出した。
破戒 (新字旧仮名) / 島崎藤村(著)
家長の心配ないしうれい、つまり自分の地上の家に対する責任というものを課せられている人間の不安な気持というものは
恐入おそれいらせしからは近日事の成就せんと皆々悦ぶ其中に貴殿きでん一人うれひ給ふは如何成仔細に候やとたづねければ山内は成程なるほど各々方には今日越前が恐入しを
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
若きうれいある人にした上でなければ、その感じが当時の詩の調子に合わず、また自分でも満足することができなかった。
弓町より (新字新仮名) / 石川啄木(著)
微笑したり澄ましたりうれわしげに眉をひそめたりあらゆる身振りと表情を四方の鏡に写して見る、飽きるまでこのナルシス流派を繰り返してから
とこんなうわさを内大臣に伝えた者のあった時に、内大臣の心はうれいにふさがれた。大臣はそうした噂の耳にはいったことを雲井の雁にそっと告げた。
源氏物語:32 梅が枝 (新字新仮名) / 紫式部(著)
は、ふかい、ふかい、うれいにしずみました。毎日まいにちやまいただきとおくもは、灰色はいいろ物悲ものがなしいものばかりでありました。
山の上の木と雲の話 (新字新仮名) / 小川未明(著)
お前も、お父さんに似てまつげが長いから、うつむいた時の顔にうれえがあって、きっと女には好かれますよ。
新釈諸国噺 (新字新仮名) / 太宰治(著)
少し眼尻が下り、びて居るのかあざけって居るのかうれえて居るのか判らない大きな眼、丸味を帯びて小さい権威をふるって居る鼻、くびれた余りがほころびかけて居る唇。
ドーヴィル物語 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
『和漢三才図会』に、猴、触穢しょくえを忌む。血を見ればすなわちうれうとあるが、糞をやり散らすので誠に閉口だ。果して触穢を忌むにや。次に〈念珠を見るをにくむ。
この青く清らにて物問いたげにうれいを含めるまみの、半ば露を宿せる長き睫毛まつげおおわれたるは、何故なにゆえに一顧したるのみにて、用心深きわが心の底までは徹したるか。
舞姫 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
それはちょうど、遠い流れの向うから聞えて来る草笛の音のような、甘酸っぱい感傷の情のおもむきで、ひたひたと身に迫って来る水に似たうれいさえ伴うのだった。
罌粟の中 (新字新仮名) / 横光利一(著)
「浪人好み、世の建て直し……天下をうれうる志士的行動! などと思うてわしのやって来た、これまでの仕事などもいって見れば、玩具いじりに過ぎなかっただろうよ」
血煙天明陣 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
何にしろ菊の井は大損であらう、かの子には結搆けつこうな旦那がついたはづ、取にがしては残念であらうと人のうれひを串談じようだんに思ふものもあり、諸説みだれて取止めたる事なけれど
にごりえ (新字旧仮名) / 樋口一葉(著)
燕楽軒の広い土間のホールヘ入ってみると、洋装の葉子が右側の窓下のところにいて、近づいて行く彼に気づくと、かつて見たこともないようなうれいにちた顔をあげた。
仮装人物 (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
彼旗をてっし、此望台をこぼち、今自然もうれうる秋暮の物悲しきが上に憂愁不安の気雲の如くおおうて居る斯千歳村に、雲霽れてうら/\と日のひかりす復活の春をもたらすを得ば
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
春前しゅんぜんに雨あつて花の開くる事早し。秋後しゅうごに雲うして落葉遅し。山外に山あつて山尽きず。路中に道多うして道極まりなし「山青く山白くして雲来去す。」人楽しみ人うれふ。
一世お鯉 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
云ったのやら娘気むすめぎというものはたわいのないものとうれいのうちにも安堵あんどの胸をさすり
春琴抄 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
旧識同伴の間闊とおどおしきを恨み、生前には名聞みょうもんの遂げざるをうれえ、死後は長夜ちょうや苦患くげんを恐れ、目をふさぎて打臥うちふし居たるは、殊勝しゅしょうに物静かなれども、胸中騒がしく、心上苦しく、三合の病いに
般若心経講義 (新字新仮名) / 高神覚昇(著)
その頃、私がうれはしげな顏をすることは譯もないことであつたのだ。心に喰ひ入る病が、私の心に巣食つてゐて、私の幸福を源までらして了ふのであつた——あの不安といふ病氣が。
愛人チキソン王ハロルトのしかばねを探している世にもうれわしい図が描かれていた。
うれいもない。身体からだにどこといって違和はないが、あの夜以来、気持にしまりがなくなった。寝るときのほか、ついぞはかまをはなしたことはなかったが、この頃は着流しで、帯も巻帯のままである。
鈴木主水 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
うれいの糸のいとど払いがたかりしある日の事なり、八軒屋の旅宿にありて、ただ一人二階なる居間の障子しょうじを打ち開き、階下につどえる塵取船ちりとりぶねながめたりしに、女乞食の二、三歳なる小供を負いたるが
妾の半生涯 (新字新仮名) / 福田英子(著)
框に足を掛けると、うれいを含んだ女の眼にあざやかな嬌笑きょうしょうが流れた。
つづれ烏羽玉 (新字新仮名) / 林不忘(著)
「嚢中すでに自ら有り、みだりうをうれうるなかれかね」
酒友 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
と、イワン、デミトリチはうれはしさうにこたへる。
六号室 (旧字旧仮名) / アントン・チェーホフ(著)
ほのくら玻璃はりの窓ひややかにうれひわななく。
邪宗門 (新字旧仮名) / 北原白秋(著)
 清光せいこう ひとえに照らす はなはうれうの人〕
夏の町 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
起きればうれはしい 平常いつものおもひ
山羊の歌 (新字旧仮名) / 中原中也(著)
うれうそぶくをりしもあれ
牧羊神 (旧字旧仮名) / 上田敏(著)
あらたなり流離のうれ
海上の道 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
MISSミス・キャゼリンはそう考えているでしょう……それは大使館があの人にそう思わせているからです。しかしもう私個人の意志ではどうすることもできないところまできているのです。私の乗る船も明後日のイキトス号と決まっているのです」と太子はうれわしげにまばたかれた。
ナリン殿下への回想 (新字新仮名) / 橘外男(著)
むしろうれいの色すら濃い。血は同じでも、人生の伴侶はんりょを選ぶについては、父娘おやこでも見解の相違のぜひないことが、とたんにはっきり分った。
新書太閤記:02 第二分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
叔父と豊世とはこんな言葉をかわしながら、薄く緑色に濁った水の流れて行くのを望んだ。豊世はうれわしげに立っていた。
家:02 (下) (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
その沈んだうれい顔を見るにつけて、半九郎もいよいよ物の哀れを誘い出された。彼はある夜しみじみとお染に話した。
鳥辺山心中 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
で、つまり情を動かされて、かなしむ、うれうる、たのしむ、喜ぶなどいうことは、時に因り場合においての母様おっかさんばかりなので。
化鳥 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
以て願ひますと差出するに駕籠脇かごわきさむらひ請取駕籠の中に差出さしいだせば酒井侯中よりの女の樣子を倩々つく/″\見らるゝに如何にも痩衰やせおとろうれひに沈みし有樣なれば駕籠を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
多少うれいの曇りがないでもなかったが、とにかく幸福な日々を、彼らはそこで過ごした。信頼と勉励との日々。