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長益
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ながます
ふりがな文庫
“
長益
(
ながます
)” の例文
殊にこんな
騒乱
(
そうらん
)
のあとに宣伝される。奇蹟的に助かって逃げた織田源五郎
長益
(
ながます
)
だの、古井戸で犬死した鎌田新介などは悪しざまに
謳
(
うた
)
い
囃
(
はや
)
された。
新書太閤記:07 第七分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
男は医者仲間の
恰好
(
かっこう
)
を作っていたが、織田源五郎
長益
(
ながます
)
なることは、見る者が見れば分ったであろう。
新書太閤記:07 第七分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
馬場
美濃守
(
みののかみ
)
信房の息、
昌房
(
まさふさ
)
のたてこもっていた要害
深志城
(
ふかしじょう
)
も、またたくまに陥ちてしまい、これへ迫っていた織田
長益
(
ながます
)
、丹羽
氏次
(
うじつぐ
)
、木曾義昌などの合流軍も、
燎原
(
りょうげん
)
の火のように
新書太閤記:06 第六分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
家康はなお、部将の
榊原康政
(
さかきばらやすまさ
)
や、信雄の一隊長たる織田
長益
(
ながます
)
などにいいふくめて
新書太閤記:11 第十一分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
“長益(
織田長益
)”の解説
織田 長益(おだ ながます)は、安土桃山時代から江戸時代初期の大名・茶人。長益系織田家嫡流初代。
織田信秀の十一男で、有楽・如庵(うらく・じょあん)と号した。そのため、織田有楽斎(おだうらくさい)として言及される場合も多い。
千利休に茶道を学び、利休十哲の一人にも数えられる。後には自ら茶道有楽流を創始した。また、京都建仁寺の正伝院を再興し、ここに立てた茶室如庵は現在、国宝に指定されている。
(出典:Wikipedia)
長
常用漢字
小2
部首:⾧
8画
益
常用漢字
小5
部首:⽫
10画
“長”で始まる語句
長
長閑
長襦袢
長押
長火鉢
長椅子
長刀
長柄
長靴
長持