道誉どうよ)” の例文
「はははは。よそながらの程度なら、今を初対面とするがよい。これからはいずれも、朝家ちょうかの臣義貞であり、朝家の臣、道誉どうよだからの」
「おくちうらでは、どうやら、近江の佐々木道誉どうよこそは、油断がならぬ者よと、ひと言、おもらしなされましたが」
私本太平記:01 あしかが帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
高時は「佐々木のような者こそ御家人の鑑ぞ」と、大いにでて、“道誉どうよ”という法名までつけてくれた。——それからの彼への眷顧けんこはまた格別だった。
私本太平記:01 あしかが帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
伊吹いぶきでは、道誉どうよが、加盟のあかしにと、自己の兵二百を加勢にさし出していたし、そこの難関をこえてからの高氏たかうじは、まったく、何の屈託もなさそうに見えた。
私本太平記:08 新田帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
六波羅の大将は、かの佐々木道誉どうよの一族で、これも近江源氏の六角ろっかく判官ほうがん時信ときのぶだった。
私本太平記:04 帝獄帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
剣璽けんじ(剣と鏡と天子の印)は、一条ノ右中将実益さねます揚梅あげうめノ右少将資持すけもちらがささげて、御使みつかいにたち、沿道には、折ふし入京していた近江の佐々木道誉どうよの兵が、例の、派手やかな軍装で立ちならんだ。
私本太平記:12 湊川帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
していた道誉どうよが、そのとき、初めて口をひらいた。
私本太平記:06 八荒帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
道誉どうよは今朝笑っていた。