“軽子坂”の読み方と例文
読み方割合
かるこざか100.0%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
江戸の町にももとはカルコという者が多く住んで、引越しその他の運搬にやとわれていたらしく、今も軽子坂かるこざかという地名がのこっている。
母の手毬歌 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
それは牛込うしごめ神楽坂かぐらざかの手前に軽子坂かるこざかという坂があるが、その坂上に鋳物いもの師で大島高次郎という人があって、明治十四年の博覧会に出品する作品に着手していた。
孝助は暇乞いとまごいをして相川のやしき立出たちいで、大曲りの方を通れば、前に申した三人が待伏まちぶせをして居るのだが、孝助の運が強かったと見え、隆慶橋りゅうけいばしを渡り、軽子坂かるこざかからやしきへ帰って来た。