資朝卿すけともきょう)” の例文
ちょうどこの頃のことであった、洛外栗栖野くるすの小野の里の、日野資朝卿すけともきょう別館べつやかたで、無礼講の宴が行われるという、そういう噂が立っていた。
あさひの鎧 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
も一つの「——我が死を佐渡の配所にある資朝卿すけともきょうへ告げて給え。鎌倉表にて、かくかくの事情にて死せりと、お耳にだけでも入れて欲しい」
私本太平記:03 みなかみ帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
御一門の一家、日野資朝卿すけともきょうは、正中ノ乱にくみし、大覚寺統の今上に忠誠をしめして佐渡ヶ島の配所で死んだ。
私本太平記:10 風花帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
……楠木多門兵衛正成くすのきたもんひょうえまさしげという男が、突然宮方加担の兵を、こんな所へ挙げてしまった。噂によると日野資朝卿すけともきょうと、とうに約束が出来ていて、連判状にも名を記していたとよ。
あさひの鎧 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
「戦前ですが、仁和寺の尼長屋に、佐渡で亡くなられた資朝卿すけともきょうの後家の君が隠れ住んでおりました」
私本太平記:10 風花帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
資朝卿すけともきょう別館べつやかたの、無礼講の帰途深夜の町で、鬼火の姥に邂逅し、姥の不思議な魅力を持った言葉で、慫慂しょうようされたそのことが、潜在的に力あったことは、何んといっても争われなかった。
あさひの鎧 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
日野資朝卿すけともきょうと共に、鎌倉表へ曳かれてゆき、一時は、宮方同心の者みな、暗澹あんたんな思いにくれましたが、佐渡へ流され給うたは、資朝卿おひとりにて、あなた様には、解かれて
私本太平記:02 婆娑羅帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
先年——佐渡ヶ島へ流された日野資朝卿すけともきょうも、やがては、ざんに処せられようが、もし折あらば、日野俊基は事ならぬまに、吉田殿の裏切りのため、死後をたのんで、鎌倉にて死せりと
私本太平記:03 みなかみ帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「ひとには裏切られたが、自分の死は、むだではない。佐渡の資朝卿すけともきょうとて同様に」
私本太平記:03 みなかみ帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そして——佐渡ヶ島から資朝卿すけともきょうの一子阿新丸くまわかまるをたすけて、共に島を脱出して帰った報告などあったので——「それよ……」と思い出し、小右京への言伝ことづても、そのせつ右馬介に命じておいた。
私本太平記:04 帝獄帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
日野の中納言資朝卿すけともきょうの後家なのだ。
私本太平記:07 千早帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)