貞能さだよし)” の例文
酒井忠次以下、本多広孝ひろたか康重やすしげ、松平伊忠これただ、奥平貞能さだよしなどを始め、西郷、牧野、菅沼などの諸部隊一体に、夕べと共に陣所を離れた。
新書太閤記:05 第五分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
肥後守貞能さだよしは、淀川の川尻に源氏が来たと聞いて、五百余騎を引連れて出たが、間違いとわかって引き帰してくる途中、宇度野うどので都落ちの一行に出会った。
奥平美作守貞能さだよし一番乗であったが、陣中に貞勝、貞能、貞昌、父子無事の対面は涙ながらであったと伝える。
長篠合戦 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
家康の嫡子信康のぶやすをはじめ、松平家忠いえただ家次いえつぐ、本多、酒井、大久保、牧野、石川、榊原さかきばらなどの諸将——奥平貞能さだよしなども、もとより行軍のうちにあった。
新書太閤記:05 第五分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
鎮西の反乱を鎮めに西下した肥後守貞能さだよしは、叛徒を平げて無事に帰京した。時に、七月十四日である。
という家康からの要請は、書面でも、また家臣の小栗大六おぐりだいろくの口からも、つづいて急使として来た奥平貞能さだよしからも、火のつくように、信長をきたてた。
新書太閤記:05 第五分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
貞能さだよしがつと走り出て
このうえは、京都を捨てて大宰府へ立ちのき、あの地にある一族の家貞や貞能さだよし等をも併せて後事を図ろう。
源頼朝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)