藁蓆わらむしろ)” の例文
野戦病院となった料理場の蒲団ふとん藁蓆わらむしろの上には、五人の重傷者がいたが、そのうちふたりは市民兵だった。市民兵は第一に手当を受けたのである。
牀といふは卓の一端の地上に敷ける藁蓆わらむしろなり。その男は何やらん一座のものに言置き、「ヂツセンチイ、オオ、ミア、ベツチイナ」(り來よ、やよ、我戀人)と俚歌ひなうた口ずさみて出行きぬ。
小屋の内を眺めると、何か大きな動物のあばら骨でも見るように雑な丸太組のホッ建て小屋で、無数の藁蓆わらむしろと、へんぽんたる古幟ふるのぼりとあまたのビラと、毒々しい幕と緞帳どんちょうとで粉飾されています。
江戸三国志 (新字新仮名) / 吉川英治(著)