蓮台野れんだいの)” の例文
十刹じつせつの僧ども経を捧げ諷経ふうきんをなせり。十五日には野辺の送りの御わざ始まり、蓮台野れんだいのには火屋ほやれいがん堂などいかめしく作り、竹垣をゆへり。
新書太閤記:08 第八分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
かの僧が夜なく山を抜け出して蓮台野れんだいのへ行ったように、一度や二度でなく、何度も繰り返して屍骸の変貌するさまを観察し、壊相や、血塗相や、膿爛相を眼に馴染ませると
少将滋幹の母 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
一一一 山口、飯豊、附馬牛の字荒川東禅寺および火渡ひわたり、青笹の字中沢ならびに土淵村の字土淵に、ともにダンノハナという地名あり。その近傍にこれと相対して必ず蓮台野れんだいのという地あり。
遠野物語 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
二人の悪者は山歩きには馴れているらしく、衣笠きぬがさの峰づたいに千本へ出て、やがて蓮台野れんだいのの枯れたかやの中を半身も没しながらざわざわとどこかへ歩いてゆく。
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
しかるに、或る時上人が使をってその男の跡をつけさせると、男は西坂本(江州の坂本ではなく、比叡山の西側の山麓、即ち現在の京都市左京区一乗寺いちじょうじ辺)を下って蓮台野れんだいのへ行くのであった。
少将滋幹の母 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
洛外の蓮台野れんだいのの巣を立ってきた時から彼らはすでにあらかじめ大乗院を目的として来たに相違なく、四郎がまず先に立って、妻扉つまどをやぶって歩き、つづいて十数名の者が内陣へ入って
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)