茝庭さいてい)” の例文
儒者または国学者には安積艮斎あさかごんさい小島成斎こじませいさい岡本况斎おかもときょうさい海保漁村かいほぎょそん、医家には多紀たき本末ほんばつ両家、就中なかんずく茝庭さいてい、伊沢蘭軒の長子榛軒しんけんがいる。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
柏軒先生が多紀茝庭さいてい、辻元冬嶺の歿後に出でゝ、異数の抜擢を蒙つた幸運の人であつたことは、わたくしのさきに云つた如くである。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
多紀一家たきいっけ殊に茝庭さいていはややこれと趣を殊にしていて、ほぼこの人の短をして、その長を用いようとする抽斎の意に賛同していた。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
多紀氏ではこの年二月十四日に、矢の倉の末家ばつけ茝庭さいていが六十三歳で歿し、十一月にむこう柳原やなぎはらの本家の暁湖が五十二歳で歿した。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
狩谷氏では隠居棭斎が五十四歳、戸主懐之くわいしが二十五歳であつた。多紀氏では矢の倉の茝庭さいていが三十四歳、向柳原むかうやなぎはらの宗家は前年柳沜りうはんが歿して、暁湖げうこの世になつてゐた。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
二子の中柳沜りうはんは宗家を継ぎ、茝庭さいていは分家を創した。後に伊沢氏と親交あるに至つたのは此茝庭である。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)