篠村しのむら)” の例文
桂から沓掛くつかけ、老ノ坂隧道トンネル——丹波篠村しのむら——千代川、薗部そのべ、観音峠——須知町、山家、綾部——そして舞鶴線に沿って、梅迫うめさこ、上杉
随筆 私本太平記 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
篠村しのむらの右馬介どのはじめ、三河の一色党のわれらまで、八方、京を中心に手分けして、今日まで、お行方を尋ねていたのでございました」
私本太平記:05 世の辻の帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
上方では高氏が、丹波篠村しのむらで離反を宣言したあの七日前にあたっている。で、高氏は丹波入りの直前に、都から隠密たちへ
私本太平記:08 新田帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そこから一里で、丹波篠村しのむらへ着くのである。すなわち足利家の飛び領で、大江山そのものも、篠村領に入っている。
私本太平記:08 新田帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
足利家の飛領とびりょう篠村しのむらとここは遠くない。両家の姻戚いんせき関係が生じたわけもわかるし、尊氏に公卿の血がながれていたことにもためらいなくうなずかれる。
随筆 私本太平記 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
一時は戦死説までつたえられていた尊氏、直義ただよしのふたりは、途々、みじめな残軍をかきあつめては、これをひきつれて、丹波の篠村しのむらへ落ちのびていた。
私本太平記:10 風花帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
篠村しのむら八幡へこめた願文がんもんにも、彼は国内平安と朝家の御為をうたっている。家の名をはずかしめずともいっている。また彼の思想からも元々、逆賊叛臣が本懐ほんかいではない。
私本太平記:10 風花帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
この時重は、尊氏が篠村しのむら八幡で旗上げをしたさいも一番にせさんじた尊氏股肱ここうの一人である。
私本太平記:11 筑紫帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
篠村しのむらまんに勢揃いの貝が鳴った。大江山諸所の兵は、ここ一つところに集められた。
私本太平記:08 新田帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
つい数日まえには、丹波の篠村しのむらへ行き、そこの飛び領の代官や引田妙源などと会い、きたるべき日の打合せも内々すまし、魚ノ棚へ帰ってくると、追っかけにすぐまた篠村の使いが来た。
私本太平記:07 千早帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「だがの小右京どの。いかようにもお力にはなって進ぜる。ゆめ、死のうなどと馬鹿なお考えは持たぬがいい。そのうち、所領の丹波篠村しのむらへでもお隠ししよう。今日のところは、ひとまず、身寄りの家とかへお帰りなされ」
私本太平記:04 帝獄帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
丹波篠村しのむらへ通じる峠に近いのである。
私本太平記:12 湊川帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)