礫川れきせん)” の例文
私が、まだ十一二の時、私のいえ小石川こいしかわ武島町たけじまちょうにありました。そして小石川の伝通院でんずういんのそばにある、礫川れきせん学校がっこうへ通っていました。
納豆合戦 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
茶店の在る所を、茶山は茗橋めいけう々下と書し、蘭軒は礫川れきせんと書してゐる。今はつきりどの辺だとも考へ定め難い。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
思案入道殿のやかたに近い処、富坂とみざか辺に家居いえいした、礫川れきせん小学校の訓導で、三浜なぎさ女史である。
薄紅梅 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
古来よりの礫川れきせんと覚ゆ。廿七町八幡駅。卅二町望月駅。城光院にいたる。一里八丁蘆田駅。一里半長窪駅也。下和田に至て若宮八幡のやしろあり。此社前に小渠ありて九尺きよの橋を架たり。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
墨水の俗を避け、礫川れきせんの雅に就いたのである。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)