津久井つくい)” の例文
比較はどこまでもして見なければならぬ。東京の近くでは相州の津久井つくいの山村などが、どこでもタケニ草をササヤケといっている。
溝口桂巌、字は景弦、名は子直といい相州三浦郡津久井つくいの素封家であったが、明治維新の後産を失い、明治三十一年正月八十一歳で没したという。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
桂川けいせん詩集』、『遊相医話ゆうそういわ』などという、当時の著述を見たらわかるかも知れぬが、わたくしはまだ見るに及ばない。寿蔵碑じゅぞうひには、浦賀うらが大磯おおいそ大山おおやま日向ひなた津久井つくい県の地名が挙げてある。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
隠れ座頭はひろく奥羽・関東にわたって、巌窟の奥に住む妖怪ようかいと信ぜられ、相州の津久井つくいなどでは踏唐臼ふみからうすの下に隠れているようにもいっていた。
山の人生 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
東京から見えている津久井つくい地方の山村でも、水恋鳥という名は人がよく知っているにもかかわらず、別にこれをバクロノカカという俗称がある。
東京府南多摩みなみたま加住かすみ村大字宮下にある白沢はくたくの図、神奈川県津久井つくい千木良ちぎら村に伝わる布袋ほてい川渡りの図であったが、後者は布袋らしく福々しいところは少しもなく
山の人生 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
津久井つくい内郷うちごうなどでは赤飯の重箱を穴の口に置いてくると、うさぎ雉子きじの類を返礼に入れて返したなどともうそろそろ昔話に化し去らんとしているが、秩父ちちぶ三峯山みつみねさんでは今もって厳重の作法があって
山の人生 (新字新仮名) / 柳田国男(著)