法性ほっしょう)” の例文
信玄は黒糸縅しの鎧の上に緋の法衣をはおり、明珍みょうちん信家の名作諏訪法性ほっしょうの兜をかむり、後刻の勝利を期待して味方の諸勢をはげましていた。時に年四十一歳。
川中島合戦 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
それおもんみれば真如しんにょは広大、衆生と仏と名を異にするとはいえ、法性ほっしょう随妄ずいもうの雲厚く覆って、十二因縁の峰にたなびいてからこのかた、人間本来の清浄心かすかにして
もっともそれに備えて、ここの中軍、信玄のいる所でも、今や例の甲軍最大な象徴しょうちょうとしている孫子の旗も法性ほっしょうのぼりも、また諏訪明神の神号旗も、花菱はなびしの紋旗も、すべて秘してしまって
上杉謙信 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
仏教の術語では「法性ほっしょう」といっております。
仏教人生読本 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
弥介は、伝右衛門奮戦の際、持って居た勝頼の諏訪法性ほっしょうの甲を田に落したのを拾い上げた。勝頼、惣蔵を扇であおいでねぎらい、伝右衛門の軽傷を負ったのに自ら薬をつけてやった。
長篠合戦 (新字新仮名) / 菊池寛(著)