母里もり)” の例文
新七とやら。……この書面によれば、母里もり、栗山、井上の三人は、わしが伊丹の城中にとらわれとなったときから、そちの奥にかくれて、苦心を
新書太閤記:06 第六分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
かかる無銘のものは、すべて在銘のものよりはるかに素直でいい。その茶碗の美しいのを能義のぎ郡でも焼いた。広瀬の八幡窯、母里もりの皿山、安来やすぎの皿山、それぞれに美しいものを産んだ。
雲石紀行 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
利安は後但馬たじまと云つた母里もり太兵衞友信、後周防すはうと云つた井上九郎次郎之房等と、代わる/″\商人の姿に身をやつして、孝高の押し籠められてゐる牢屋らうやの近邊を徘徊はいくわいして主を守護した。
栗山大膳 (旧字旧仮名) / 森鴎外(著)
九時ちょッと前か、八時半か、とこれが後日の問題になったのは、本郷駒込の母里もり大学という役人の邸の話。このへんはお寺の多いところで、八百屋お七ゆかりのお寺もこのへんのこと。
そしてやがて、庭垣の彼方へ向って、家臣の母里もり太兵衛の名を呼びたてた。何事かと、太兵衛が駆けて来ると
黒田如水 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
出雲の産物で是非とも記さねばならないのはいわゆる「黄釉きぐすり」の焼物であります。布志名ふじな湯町ゆまち報恩寺ほうおんじ母里もりなどは皆同じ系統の窯場でありますが、中で歴史に古いのは布志名であります。
手仕事の日本 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
母里もり与三兵衛—喜多村六兵衛勝吉かつよし—衣笠久左衛門—長田三助—藤田甚兵衛—三原右助、同隼人—小川与三左衛門—栗山善助—後藤右衛門—宮田治兵衛—母里太兵衛
黒田如水 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
栗山善助と母里もり太兵衛のふたりが、櫓下附近で出会いがしらに訊ねた。衣笠久左衛門はかわいた声をして
黒田如水 (新字新仮名) / 吉川英治(著)