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樊城
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はんじょう
ふりがな文庫
“
樊城
(
はんじょう
)” の例文
樊城
(
はんじょう
)
は包囲された。弱敵に囲まれたのとちがい、名だたる関羽とその精鋭な軍に包囲されたのであるから、落城の運命は、当然に迫った。
三国志:09 図南の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
樊城
(
はんじょう
)
へ逃げ帰った残兵は、口々に敗戦の始末を訴えた。しかも
呂曠
(
りょこう
)
、
呂翔
(
りょしょう
)
の二大将は、いくら待っても城へ帰ってこなかった。
三国志:06 孔明の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
すでに彼の大軍は彼の命を奉じて、
新野
(
しんや
)
、白河、
樊城
(
はんじょう
)
など、一挙に
屠
(
ほふ
)
るべく大行動に移ろうとした時である。
帷幕
(
いばく
)
にあった
劉曄
(
りゅうよう
)
が切にいさめた。
三国志:07 赤壁の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
樊城
(
はんじょう
)
の包囲は完成した。水も漏らさぬ布陣である。関羽はその中軍に坐し、夜中ひんぴんと報じてくる注進を聞いていた。
三国志:09 図南の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
まだ敵味方とも気づかないらしいが、
樊城
(
はんじょう
)
の完全占領も時の問題とされている一歩手前で、関羽軍の内部には、微妙な変化が起っていたのである。
三国志:10 出師の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
▼ もっと見る
敵を誘い、敵を分離させ、また個々に敵団を
剿滅
(
そうめつ
)
して、はじめ五千といわれた越境軍も、やがて
樊城
(
はんじょう
)
へ逃げ帰ったのは僅々二千にも足らなかったという。
三国志:06 孔明の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
玄徳も、舟に移って、渡江しにかかったが、折もあれ、この方面へ
襲
(
よ
)
せてきた曹軍の一手——約五万の兵が、馬けむりをあげて
樊城
(
はんじょう
)
城外から追いかけてきた。
三国志:07 赤壁の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
今は
挽回
(
ばんかい
)
の工夫もない。全面的な敗北だ。関平と廖化はやむなく
樊城
(
はんじょう
)
へ奔った。そして関羽の前へ出るや
三国志:10 出師の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
曹操は、調印直後、
満寵
(
まんちょう
)
を
樊川軍
(
はんせんぐん
)
参謀に任じ、曹仁のいる前線拠地——
樊城
(
はんじょう
)
へ派遣して、彼を
扶
(
たす
)
けさせた。
三国志:09 図南の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
選りに選ってなぜこんな凡将を残して
征
(
い
)
ったかといえば、
樊城
(
はんじょう
)
へ出陣の前、この二将に落度があった。
三国志:10 出師の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
「自分がおそれるのは、敵が背後へまわって、
樊城
(
はんじょう
)
の留守を衝くことだ。ただ、それだけだ」
三国志:06 孔明の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
「この上は新野を捨てて、
樊城
(
はんじょう
)
へ避けるしかあるまい」と、いった。
三国志:07 赤壁の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
魏
(
ぎ
)
の
夏侯惇
(
かこうじゅん
)
は、襄陽から追い落されて、
樊城
(
はんじょう
)
へ引籠った。
三国志:08 望蜀の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
“樊城(樊城区)”の解説
樊城区(はんじょう-く)は中華人民共和国湖北省襄陽市に位置する市轄区。
(出典:Wikipedia)
樊
漢検1級
部首:⽊
15画
城
常用漢字
小4
部首:⼟
9画
“樊城”で始まる語句
樊城侯