擲弾兵てきだんへい)” の例文
今一八一五年にはイギリス軍と結んでナポレオンと戦っていたオランダの擲弾兵てきだんへいらは、ほとんど生き残ったものがなかった。
独唱は『ラ・マルセイエーズ』と『二人の擲弾兵てきだんへい』(六五五七)たった一枚になり、二重唱は一枚もなくなってしまった。
つい先頃、わたしは古いリンカンの墓地の一方に片寄った、コンコードからの退却中仆れた幾人かの英国の擲弾兵てきだんへいの無銘の墓のそばで、彼の墓碑銘を読んだ。
ロゲーは、フランスの全擲弾兵てきだんへいを死をもって威嚇して、各自に一人のプロシア兵の捕虜をつれきたらしめんとする、痛むべき実例を残していた。
コロムビアには二枚入っているが、私はシューマンの『二人の擲弾兵てきだんへい』と、ベートーヴェンの『神の稜威みいつ』(J五三六二)の腹合せが良いと思う。
擲弾兵てきだんへいのごとく毅然きぜんとして、思想家のごとく勇壮であった。ただ全ヨーロッパ動揺の機会に対しては不安を覚え、政治的大冒険には不適当であった。
一枚物の歌のレコードでは、一番有名なのは「二人の擲弾兵てきだんへい」であろう。巧みにフランスの国歌を使って、ナポレオン軍の敗残兵を歌った技巧が面白い。
楽聖物語 (新字新仮名) / 野村胡堂野村あらえびす(著)
テラポンティゴヌス・ミレスは擲弾兵てきだんへいヴァドボンクールと腕を組み合って歩くであろう。骨董商こっとうしょうダマジプスはパリーの古物商人のうちに納まり返るであろう。
ブラームスの『恋歌こいか』(五〇〇三六)も愛されて良い。シューマンの『二人の擲弾兵てきだんへい』も、劇的な美しさにおいて、シュルスヌスのかもす雰囲気は第一等かも知れぬ。
わしの大きな記章をつけた近衛擲弾兵てきだんへいの高い帽子が、一様に列を正し粛々としておごそかに、その混戦のもやのうちに現われた時、敵軍すらもフランスに対する畏敬の念を覚えた。
自分の擲弾兵てきだんへいを取って国王となし、諸王朝の顛覆てんぷくを布告し、一蹴いっしゅうしてヨーロッパを変造し、攻め寄せる時には神の剣のつかを執れるかの感を人にいだかしめ、ハンニバル、シーザー
マイヤンスの擲弾兵てきだんへい、ゼノアの架橋兵、エジプトのピラミッドをも見てきた軽騎兵、ジュノーの砲弾からどろを浴びせられた砲兵、ゾイデルゼーに停泊してる艦隊を強襲して占領した胸甲兵、また
次に彼はイタリー国境に向かい、ジューベールとともにテンデの峡路きょうろをふせいだ三十人の擲弾兵てきだんへいのひとりだった。その時の武勲により、ジューベールは高級副官となり、ポンメルシーは少尉となった。