承禎じょうてい)” の例文
観音寺には、江南の豪族、佐々木承禎じょうていがいたし、箕作城には、その子の佐々木六角が立てこもっていたからである。
新書太閤記:03 第三分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
宇多源氏うだげんじ以来の名門、佐々木六角や承禎じょうてい入道をはじめ、一族やら女子供は、あわれ闇につまずきながら、争って、炎の城から石部城の方へ落ちて行った。
新書太閤記:03 第三分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
当時の、織田幕将のひとり柴田権六勝家が、江州長光寺の城にって、佐々木承禎じょうていの強兵八千の包囲猛攻をうけ、ついにその水の手を断たれても、なお
新書太閤記:09 第九分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
鯰江なまずえの六角承禎じょうていが、観音寺城の残党や門徒僧を用いて、土民一揆の火の手を諸所に挙げ、その混乱に乗じて、小谷の浅井勢と呼応して一挙に信長を屈伏させてみせると
新書太閤記:04 第四分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)