惟任これとう)” の例文
「そうですか。そんなに寄手方としては、攻めあぐみましたかな。面目至極じゃ。惟任これとう光秀どのの軍勢に持て余されたとあっては——」
新書太閤記:06 第六分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
この年の六月二日、京都本能寺に在った右大臣信長は、家臣惟任これとう日向守光秀の反逆に依って倒れ、その長子三位さんみ中将信忠も亦、二条の城に於て、父と運命を共にした。
賤ヶ岳合戦 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
天正十年のろくがつ惟任これとうひゅうがのかみのはんぎゃくにくみして安土あづち万五郎のともがらと長浜のしろをおせめなされ、まった慶ちょう五年の九月関ヶ原かっせんのおりには
盲目物語 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
惟任これとう光秀どのは、こう戦ってこう勝った。そしてこういう法令で治めているが、内実は、どうだとか、こうだとか——までをいう。
新書太閤記:06 第六分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
惟任これとうにも似げない小心。そのような儀、いずれでもよい。要は天守閣の絵図、墨縄すみなわの資料など、そちの手もとにあるのか、ないのか」
新書太閤記:05 第五分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
惟任これとう日向守さまが、お越しになられました。ちょうど同日の参府さんぷ、久しぶりに、お会いして帰りたいと、慇懃いんぎんに仰せられて——」
新書太閤記:06 第六分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
それと、もう一通の嘆願書には、山門復興の勧進に、惟任これとう日向守様の尊名をも、御拝借ねがいたいということでございました。
新書太閤記:07 第七分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「あわれ、殿。丹波六十万石を下され、惟任これとうの姓をも賜わって、一門なに不足なく、かくある御恩をも思いたまえば」
新書太閤記:07 第七分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
丹波一国を領して、身は亀山の城に君臨し、位階は従五位下、族を惟任これとうと改め、日向守ひゅうがのかみに任官なされて、天下の府、安土あづち奉行衆の一席をも占めておられる。
茶漬三略 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
このたびは、惟任これとううじを賜わり、さきには丹波の御領地を加えられ、ここおよろこびが打ち続いておられる。
新書太閤記:05 第五分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
信長公が安土の城に大賓として迎えた家康の饗応に、その数日のあいだの接待役として惟任これとう日向守光秀が任ぜられたことは、世間にかくれなく沙汰されたところである。
新書太閤記:07 第七分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「そうそう、あの折、小六の宅に泊っておられた客僧どのが、あなたであった。——つい先頃、年の暮、二条のお館で、惟任これとうどのからちらと、御入洛ごじゅらくのうわさは聞いていたが」
新書太閤記:05 第五分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
しかし、事こころざしとたがい、味方は山崎にやぶれ、大殿も昨夜小栗栖おぐるすのあたりであえなき御最期と聞く。すでにわれらの惟任これとう日向守様のなき今日となっては、われらの望みも同時に終った。
新書太閤記:08 第八分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
惟任これとうどのにお目にかかりたい」
新書太閤記:08 第八分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)