崇徳院すとくいん)” の例文
康治年間崇徳院すとくいんから百首の題を賜わり、時の歌人が百首歌を詠んで奉った。成ったのは一つとんで次の久安年間で、初度のは残っていない。
中世の文学伝統 (新字新仮名) / 風巻景次郎(著)
とりわけその内でも執念深いのは、去る保元の乱に讃岐に流された崇徳院すとくいんの霊、同じく首謀者、左大臣頼長、新しい所では、新大納言成親、西光、それに鬼界ヶ島の流人の生霊などであった。
どうしたのだろうとおもってくと、なんでもいま天子てんしさまの後白河天皇ごしらかわてんのうさまと、とうにおくらいをおすべりになって新院しんいんとおよばれになったさき天子てんしさまの崇徳院すとくいんさまとのあいだに行きちがいができて
鎮西八郎 (新字新仮名) / 楠山正雄(著)
遂に崇徳院すとくいんの御宇長承二年四月七日のうまの正中に母の秦氏悩むことなくして男の子を生んだ。その時紫の雲が天にそびえ、邸のうち、家の西に元が二肢ふたえだあって末が茂り、丈の高いむくの木があった。
法然行伝 (新字新仮名) / 中里介山(著)