守田勘弥もりたかんや)” の例文
この芝居を初めて見物する前に、わたしは初めて守田勘弥もりたかんや——新富座の座主ざぬしで、先代の勘弥の父——という人にった。
明治劇談 ランプの下にて (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
十一代目を継いだ——下総しもうさあたりのお百姓から出て、中村翫右衛門がんえもんと名のった、あまり上手でない役者が座元の養子になり、その子の十二代目守田勘弥もりたかんや
朱絃舎浜子 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
長尾のむすめ敬の夫三河屋力蔵の開いていた猿若町さるわかちょう引手茶屋ひきてぢゃやは、この年十月に新富町しんとみちょううつった。守田勘弥もりたかんやの守田座が二月に府庁の許可を得て、十月に開演することになったからである。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
このかん、明治四十年に至るまでには、新富座興亡史があり、歌舞伎座が出来上り、晩年は借財に苦しめられた守田勘弥もりたかんや歿くなってしまうと、新富座は子供芝居などで
朱絃舎浜子 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
市村座の座主ざぬしはかの守田勘弥もりたかんやについで劇界に名を知られた中村善四郎で、興行の上にも相当の手腕を有し、一方には花形の福助や我童や権十郎などをかかえていたにもかかわらず
明治劇談 ランプの下にて (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)