嬖臣へいしん)” の例文
忠之が出勤せぬ利章の邸へ、自分で押し掛けようとした怒には、嬖臣へいしん十太夫の受けたはづかしめに報いるために、福岡博多の町人をはふつた興奮が加はつてゐたのであつた。
栗山大膳 (旧字旧仮名) / 森鴎外(著)
すでに尊治皇太子たかはるこうたいしの時代から、後醍醐のまわりには、それをようするつよい一連の嬖臣へいしんができていた。
私本太平記:03 みなかみ帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
善かれ悪しかれ内膳ははらをきめなければならなかった。……かれは秋山平蔵と共に、頼胤側近の二嬖臣へいしんといわれている。「君側のかん」という思いきった評判も耳にする。
新潮記 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
ルイ十四世が嬖臣へいしんたる一貴族の重罪を特赦しようとした時、掌璽大臣ヴォアザン(Voisin)は言葉を尽して諫争かんそうしたが、王はどうしても聴き容れず、強いて大璽を持ち来らしめて
法窓夜話:02 法窓夜話 (新字新仮名) / 穂積陳重(著)
孟子がそこで力説しているのは、子路の妻の兄弟が衛の嬖臣へいしん弥子瑕の妻であったこと、そうして弥子がその縁で孔子の宿をしたがったことである。『孟子』によれば、孔子はこの申し出を斥けた。
孔子 (新字新仮名) / 和辻哲郎(著)
それへまた幕府の嬖臣へいしん柳沢吉保やなぎさわよしやすが、老公をのぞくために、大奥と将軍家の陰に立ちはたらき、老公をして、身を退くのほかない窮地にまで追いつめたものと——みなておるが
梅里先生行状記 (新字新仮名) / 吉川英治(著)