天山てんざん)” の例文
藤森弘庵、通称は恭助、名は大雅ひろまさ、字は淳風じゅんぷう、後に改めて天山てんざんと号した。父は播州ばんしゅう加東郡小野の城主一柳ひとつやなぎ家の右筆ゆうひつであった。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
よしみつこうは そのころ あたまを そって ぶつもんにはいり、天山てんざんと いいましたが、きんかくじを たて、そこに すんで いたのでした。
一休さん (新字新仮名) / 五十公野清一(著)
即ち回彊かいきょう部と称し、更に伊犂イリーあるいは新彊しんきょうともいう処があるが、これが韃靼族で、常に天山てんざんを越えて露西亜に入る。かつて支那に対して独立をとなえた事もある。
三たび東方の平和を論ず (新字新仮名) / 大隈重信(著)
南、島原半島の筑紫富士(温泉岳)と遥にあひたいし、小城をぎと東松浦との郡界の上に聳え、有明海沿岸の平野を圧するものを天山てんざん——また、あめやまともいふ——となす。
松浦あがた (新字旧仮名) / 蒲原有明(著)