天台座主てんだいざす)” の例文
二十歳はたちにして(今、二十四)天台座主てんだいざすの任に就かれ、去年、座主を御弟の尊澄そんちょう法親王に譲られた後も、叡山大塔のじゅうを動くなく、ひそかに山門の僧兵を練って「時こそ」と
私本太平記:03 みなかみ帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
唯ならぬ事態の変化を読み取って明雲は、早やばやと、天台座主てんだいざすを辞任してしまった。
慈円も天台座主てんだいざすに上ったが、兼実は剛毅ごうきで、後白河院の丹後局たんごのつぼねという女傑の反感を招いたため、ことごとに意見が封じられ、関白を止めたときは慈円も天台座主を退くという形になった。
中世の文学伝統 (新字新仮名) / 風巻景次郎(著)
姻戚いんせき関係もおおっぴらで、もっとも縁の深いのが九条家で、つき関白兼実かんぱくかねざねの娘玉日姫たまひひめと宗祖の結婚がはじまりで、しかも宗祖は関白の弟、天台座主てんだいざす慈円の法弟であったのだから関係は古い。
九条武子 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
叡山えいざん天台座主てんだいざすもやり、三井寺にもいたという僧歴はあるが、いまどきの法師は、大薙刀おおなぎなたを振ったり、火攻め夜討ちにも、勇敢でなければならない。僧正は、人にいっている。
宮が、叡山第百十六世の天台座主てんだいざすとして山入りされた三年前からの奨励だった。
私本太平記:04 帝獄帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)