大伝馬おおでんま)” の例文
私の生れたうまや新道、または、小伝馬町こでんまちょう大伝馬おおでんま町、馬喰ばくろ町、鞍掛橋くらかけばし旅籠はたご町などは、旧江戸宿しゅく伝馬てんま駅送に関係がある名です。
柏墨の「丸八」は大伝馬おおでんま町三丁目の老舗しにせで、立派な土蔵造どぞうつくりの店だった。紀文に張りあった奈良奈のうちだのなんのときいていた。
午前二時、新川しんかわ岸壁集合、大伝馬おおでんま船を、燈台沖とうだいおきまで漕ぎだして置いて、パナマ丸の入港を待つ。助ボーシンの源公とも、よく打ちあわせてある。
花と龍 (新字新仮名) / 火野葦平(著)
大丸は大伝馬おおでんま旅籠はたご町から大門通りへ折れまがって裏まで通った、一丁の半分以上を敷地にして幾戸前かの蔵と店とで、糸店いとだなによった方に広い土間があった。
鉄道馬車時代の線路は両方にあって、浅草へむかって行きの線路は、本町、大伝馬おおでんま町、通旅籠とおりはたご町、通油とおりあぶら町、通塩とおりしお町とつらなった問屋筋の多い街の方にあって、街の位は最上位であった。
旧聞日本橋:02 町の構成 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
源泉小学校は大伝馬おおでんま町の裏にあって、格子戸がはまった普通の家造りで、上って玄関、横に二階をもった座敷と台所。たぶん台所と並んだ玄関の奥へ教場の平屋を建てましたのであろう。