多治比たじひ)” の例文
天平勝宝四年うるう三月、多治比たじひ真人鷹主たかぬしが、遣唐副使大伴胡麿宿禰こまろのすくねうまのはなむけして作った歌である。「行き足らはして」は遣唐の任務を充分に果してという意。
万葉秀歌 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)
天皇は御年百二十四歳、己巳つちのとみの年の八月九日にお隱れになりました。御陵は河内の多治比たじひ高鸇たかわしにあります。
お父上をお殺しになった雄略天皇ゆうりゃくてんのうを、深くおうらみになりまして、せめてそのみたまに向かって復しゅうをしようというおぼしめしから、人をやって、河内かわち多治比たじひというところにある
古事記物語 (新字新仮名) / 鈴木三重吉(著)
「ほう、嶋が? 多治比たじひノ嶋が来てゐるのか?」
春泥:『白鳳』第一部 (新字旧仮名) / 神西清(著)
弟のミヅハワケの命(反正天皇)、河内の多治比たじひ柴垣しばがきの宮においでになつて天下をお治めなさいました。