右京亮うきょうのすけ)” の例文
それは四年まえ、代二郎と桃世とのあいだに縁談のまとまった直後のことであり、またこんどの(後に「右京亮うきょうのすけさま騒動」といわれた)
初夜 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
「菊坂を挟んで小役人、御家人ごけにんの屋敷が二三百あって、西には松平右京亮うきょうのすけ様、南には松平伊賀守いがのかみ様のお下屋敷があります」
高崎は松平右京亮うきょうのすけ、八万二千石の城下。それより坂鼻へ一里三十丁。坂鼻から安中あんなかへ三十丁下り。ここは坂倉伊予守、三万石の城下。安中から松井田へ二里十六丁。
大菩薩峠:24 流転の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
児玉こだま氏は越前国敦賀つるがの城主酒井さかい右京亮うきょうのすけ忠毗ただやすの家来某のむすめであった。二百石八人扶持の家である。与四郎の文内に弟があり、妹があって、彼を宗兵衛そうべえといい、これ岡野おかのといった。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
上野国こうずけのくに高崎の城主松平右京亮うきょうのすけ輝聡てるとしの家来で、本郷弓町ゆみちょうに住んでいた。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)